2012年10月29日月曜日

秋入学

★Take1
先日大学の秋入学が少数に留まっているという記事を読み、私は日本の全ての大学が秋入学になるのが望ましいと思った。
先ず最初の利点は高校在学時からで、それは受験を意識した知識詰め込み型ではない本来の「学び」が出来ることである。つまり大学を秋入学にすれば本格的な受験勉強は卒業式が終わってからでも十分なので、高校3年間は受験とは無縁な学園生活が満喫出来るようになる。
また高校卒業から大学入学までの約半年間は受験勉強だけでなく社会人になる前のモラトリアムとして使っても良いだろう。アルバイトをするも良し、地域のボランティアに参加してみるも良し、余裕があれば海外への見聞旅行などもその後の人生を充実したモノにする礎となるかもしれない。
そしてもう一つの利点は、高校生までは春、大学生は秋卒業になることで日本独特の新卒一括採用制度と、それが生んだ一番の弊害「就活」なる因習が廃れることである。大学とは本来知識と教養を育むための研究教育機関であって、企業に都合の良い人材を生み出す就職予備校では決してないことを私達の多くは忘れてしまっている。そんなガラパゴス化した今の日本の異様な大学事情を教え正してくれるのは、因果にも秋入学で増えると予想される外国人留学生なのかもしれない。
2011/12/25

★Take2
私は大学の秋入学制は世界に通用する人材育成のためだけにあるとは思わない。例えば大学入試を高校卒業後の翌夏に行えば、大学進学希望の学生には約半年間の猶予期間が与えられるだけでなく、貴重な高校生活が「受験」というシガラミから解放されることにもなる。高校側は学問本来の面白さを教えられるようになり、学生も三年間丸々有意義な学園生活を送れるようになる。本格的な受験勉強は卒業式が終わってからでも十分だろう。しかし折角誰にも束縛されない自由な時間が半年もあるのである。私はボランティアや国内外への放浪の旅をお奨めしたい。そこでは様々な人々の様々な生き方考え方と出会え、多くの刺激や教訓を得られる筈である。時には高校時代に考えていた進路とは全く別の道を発見するかもしれない。でもそれこそがこの猶予期間のもう一つの利点でもある。色んな経験をした上で選んだ大学なのだから入学後の学習意欲や向上心も決して失せることはないだろう。少なくても偏差値やブランドで何となく大学を選ぶ現状よりは意義はある筈だ。それでもこの半年の猶予期間が無駄だと考える人は、大学入学後の数年間が殆ど勉強しない猶予期間となってしまう今の制度の方が断然無駄だということに恐らく全く気付いていない。
※2012/10/29

2012年10月28日日曜日

キャッチボールに相当する英語は存在しない

元来ガラパゴス化した言語であることは知っていたが、もはやキャッチボールすら成立たないアメリカンビューティーな社会状況であることもチョッとは揶揄したいと思って此処に記す。

追伸
既にキャッチボールという日本語すら消えつつあるので何とも言えないが…

2012年10月24日水曜日

科学の目指すところは

生命や成長を中心に据える傾向が強いが、死と分解も自然の営みにとっては同じくらいに重要である。
��マイケル・ポーラン「雑食動物のジレンマ」より

2012年10月12日金曜日

ダンボール肉まん


FUNKを日本人なりに体現するとすれば、多分こういう形がベストだと思った次第。
バンド名も実際はそうでないみたいで、これまた皮肉とユーモアを解するセンスに脱帽。

領有権、GDP、国威発揚、etc…

とにかく、私達も含めた東アジアにはこういうFUNKYさが足りない。

追伸
恐らくこの作品が出来た頃は、ダンボール肉まんなど日本人なら誰もが対岸の火事だと思っていたはずだ。そんな過去を今の日本の現状と照らし合わせてみるのも非常に感慨深い。

2012年10月10日水曜日

提灯行列

IPS細胞と癌細胞は似たようなモノだと聞いたことがある(from福岡伸一動的平衡)。
とにかくその真偽はどうあれ、永遠の若さなど存在しない方が良い、否存在するべきではないと私は思うのだが、恐らく殆どの人にとって今回のノーベル賞受賞は昔の提灯行列みたいに何の文句もなしに浮かれそして酔いしれるニュースなのだろう。

そういう状況が私は怖くて仕方がない…

追伸
絶対に有り得ない「万能」を謳うビジネスモデルがノーベル賞を受賞したことは、恐らく後世まで何らかの爪痕を残すことは先ず間違いないと私は思う。(あとは、それが良い方向に転がってくれることを願うばかり)

2012年10月2日火曜日

雑食動物のジレンマ

(著書の中から、抜粋したモノや自分が思ったことなど無作為に書き殴る。↓)

人間の脳が大きく複雑に進化したのは、自然界にあるモノは何でも食べられる(そしてそれを食したことによって死に至る)という雑食動物のジレンマに対処するためだと考える人類学者は少なくない。

バラエティーに富んだ多くの食の選択肢はある場合には逆にストレスを招くこともある。
人間の文化はタブーや儀式、レシピやマナー、伝統や言い伝えによってそんなジレンマを解消しようとしてきた歴史がある。

「私が食べているコレは一体何処で生まれてどうやって運ばれてきたのか?」専門家に訊かなければならない程、現在の食環境は複雑で曖昧である。

合成窒素の発明は良くも悪くも地球を変えた。
これがなければ今生きている人間の5人に2人は存在しない。
しかし、この発明こそ農業が工業化した一番の要因でもある。

※TPPに参加したがる政治家が多いのは、結局(彼らの圧力団体となる)農家の数を減らしたいからではないかと勘ぐりたくなった。

人類を自然から転落せしめたのは工業化された農業である。

人間は自ら作りだした道具の、その道具に成り果ててしまった。(H・Dソロー)

「大農場の方が生産性は低くなる」
それでも何故大規模化させたいかというと、それは食品加工メーカーにとっては出来る限り少数の農家と大規模な契約を交わした方が効率が良いからである。
似たような発想で、日本政府はしきりに農地を大規模化したいのも、自分達にとって不利となる農家の数を減らしたいからである。

工業的オーガニックは徹底的に化石燃料を使う、殊に加工と運搬に…。

そもそもオーガニックが誕生したのは自然界の利に適った食を考え、太陽から肥沃性エネルギーを受け取る生態系に倣った食体系をつくることにあったが、安い石油の波に勝つことは出来なかった。

☆「放牧農家」という概念!牧草=太陽パネル

太陽の恵みを人間のエネルギーに変換する最も効率的な方法は、目の前に自生しているモノを食べることである。

人間が引き起こした温室効果ガスの1/3は農業に起因している。

ある動物が他の動物を食するとき、1cal摂取する度に9calが無駄に浪費される。

工業化で効率的なシステムは、反復・単純化することである。

工業的食物連鎖の過程では、生産者と消費者の間で共通してテーマになるのは価格だけである。
つまり今の食体系は「無知と安価」がお互いを支えて成り立っているのである。

cf.フランシス・ムア・ラッペ「小さな惑星の緑の食卓」

禁断の果実はNPK(窒素、リン、カリウム)…p上197

※農家は元々、知らない人間なんかと商取引などするよりも、土や植物と付き合っている方が好きだから農家になったのであって、それを今更「6次産業」などというビジネスモデルの旗手になれと言われても困惑するだけなのである。

雑食動物の幸運は地球上のあらゆるものを食べられること。
一方、不幸はどれが安全なモノなのかが誰にも頼れないことである。

cf.ピーター・シンガー「動物の解放」
現在の人間と動物の関係は優しさと野蛮さが共存する極度に矛盾した様相を呈している。

スピーシズム

☆肉食は唯の美食的志向ではない。セックスが唯の娯楽的志向だから止めるべきだという異見がナンセンスなのと同じように。

☆バーコードの付いていない食材だけで料理をつくる。
それはそれらの食材がどのようにして私の所に来たかを知ることである。
完璧な食事とはそんな全ての代償が支払われた、誰にも何の借りもないシンプルなモノなのではないだろうか?


雑食動物のジレンマ 上──ある4つの食事の自然史
マイケル・ポーラン
東洋経済新報社
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2012年10月1日月曜日

最近の新聞は更に面白くない

アタック25に出るのが密かな夢であるので時事問題を知るために読んでいるのだが、最近の記事はあのことだったり、あそこのことだったり、はたまたもうひとつのあのことだったり、と定型化しているので読むのも堪えない位だったりする。