2020年12月20日日曜日

念願の一時帰宅(のはずだったが...)

それまで不運続きだったのが、11月の後半から少しずつ持ち直し始めた。

右脚の腫れは治まっていくのが自分の目でも判ったし、血液検査の結果も良好と出た( 膝だけは未だ腫れている...)
時折襲ってきていた高熱もほぼなくなった( コチラも膝の火照りだけは未だに続く...)
ドレーンが外れた18日から即リハビリを再開し、翌19日からは超音波治療も始まる。
簡易装具の装着とインスリンの投与は11月25日で終了(投薬は今も続く...)。


そしてついに、11月26日には念願の一時帰宅が許可された。

一時帰宅がなぜ念願なのかと言うと、私はキノコ採りの山中から消防隊のヘリで直接病院に搬送されたからだ。
普通はどんなに突然の病気で緊急搬送された人でも帰宅時の着る物(パジャマとか)くらいは持っているはずだが、私の場合ズボンはハサミで裁断されてしまったのダ(まぁ家から持って来てもらえば良い話だが...)。
また部屋にあるモノを頼んでも、母はガジェットの名称が分からないし、兄貴は真剣に探してくれないので一向に埒があかない(コレは経験すれば解るが結構シビア)。
それに何より、猫との再会が帰宅の最大の目的だった(友達のいない私には猫との別れが一番の苦痛)。

はぅえば~

簡易装具をはずしてもらったばかりで逆に左右のバランスがおぼつかない。
そして松葉杖で段差を越える練習をしなかったことが決定的な失敗だった。
ちょっとした段差も越えられないのである(ケガをする直前もコレ位の用心深さがあればとふと思ったが...)。
6週間振りのシャバの空気は頗る気持ち良かったが、如何せんこの状態では仮出所さえままならないと痛感する。

これには実は伏線があって、私が余りにも「退院したい」とせがむので、主治医は「どうしてもと言うなら仕方ない」という感じで退院が許可されていた(つまり試し退院の意味もあった)。

そんな風にして、11月末での退院という希望も泡と消えてしまったのであった。

猫に再びの別れを告げ、兄に頭を下げて病院まで送ってもらいトボトボと病院に戻ると、聞き慣れたナースコールが至るところで響き渡り、糞尿の臭いが漂ってきた(この病院は寝たきりの高齢者が殆どなので...)。
「もう少しの辛抱」と自分に言い聞かせ、ベッドに頭からスッポリ潜り込みたい気分だったが、当然ながらそんなアクロバティックな動きは右脚が許してくれる訳もなく...。


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