2026年5月9日土曜日

猫日記5月9日~旅立ち

病院に連れて行ってからは餌をチョビチョビ食べるようなったし、数日前にはそれまで受け付けなかったカリカリフードまで食べていたので、内心では「意外とヨボヨボなりに生き続けるのでは…」と楽観もしていた。
※今振り返れば、カリカリを食べたのも最期の生きる力が無理矢理そうさせたのだろう。

そして最近(特に夜は)実家の母の寝床の方が好きになっていて、猫の切ない姿を見る機会も半減し、これ幸いとばかりに猫の病状観察は放置していたきらいもある。

そんなわけで、今日も心配せず(言い訳をすれば朝に帰宅しない時は実家まで元気かどうか確認しに行ったりもしたが、何故か今日に限って忘れてしまった…)寒河江まで買い物に行ったら昼前に突然母から「猫ヤバい」旨の電話…
状況を聴くと、今朝チュールを1本をペロッと食べたのに、それを全部布団の上で吐いたらしい。
急いで帰宅すると、確かにこれまで見たことないような衰弱状態。
そしてヨダレとウンコを垂れ流して部屋中に屍臭が漂っていた。

多分今日が峠だろうと覚悟し、最期はやはり私の住処に連行した。
※振り返れば、その時無理矢理抱いた時が最後の(嫌々な)鳴き声だった。

↓は私の部屋(=猫の一番お気に入りの寝床)に戻った直後の様子。


この時点では未だ瞳孔は開いておらず、呼吸もせわしくはなかった。
ただ眼球は全く動くこともなく、その後も結局最期まで私と目を合わせることはなかった。
多分、末期癌患者のように既に飛んでしまっていたのだろう。
猫にとっては苦痛を軽減するための最良の防御策だったと思うが、私にとっては猫との最期の会話が出来ず、それが一番の心残りであった。
※まぁこれも、ここ最近実家の人間のほうに懐いたことを言い訳にして、全然構ってやらなかったバチが当たったのだろう。


日が暮れるまでは小康状態で、そんなに苦しんでいる感じではなかった。
数分から数十分おきに吐き気をするが、無論吐き出せるものは何もない。
手を握ったり櫛で毛繕いをしてあげたり、最期の御奉公に励んだ。


ちなみに↑は死後ではない。
手持ち無沙汰だったので、庭の花々の匂いを嗅いで元気になってくれないかと摘んできたりもした。


しかし日暮と共に少しづつ苦痛が見え出した。
これまでは涼しい所にばかり居たので熱があるのかと思っていたが、身体が冷たくなってきたのでタオルを掛けてあげる。
発作の頻度も数分間隔になりオシッコとヨダレも垂れ流し状態になった。

そして20:20頃に、これまでは微動だにしなかったのに、急に小さい唸り声と共に全身を伸ばした。

「何が起きた!?」というのが正直な感想。


そして、これまで一本の縦線だった瞳孔がまん丸になり、痙攣も吐き気もしなくなった。


私は最初、まぶたを閉じてあげても直ぐ元に戻ったので、この時点ではまだ生きていると勘違いしていたが、多分コレが最期だったと思われる。
※後でググったら、犬や猫の目蓋は数分抑え続けないと閉じないらしい。


「呆気ない」というのが正直なところである。
先述通り、病院で点滴してもらってからはそれなりに元気になったので、すっかり油断していた。


今はまだ気持ちの整理が付いていない。
今日は徹夜するつもりだったので拍子抜けな感もする。
※昼から看取りながら酒を呑み続けていたのでもうヘベレケなんだが…

半野良で13歳はそれなりに生きたのかもしれない。
でも独身で誰も身寄りのない私にとって、特に障害者になって走れなくなってからは猫との馴れ合いだけが生き甲斐だった。
なぜか15歳までは生きてくれると勝手に思っていた。
おいおい、待ってくれょ。
俺を置いていくなょ…

(つづく)

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