2009年12月25日金曜日

ナマケモノで良いじゃないか

恒例の「内田樹の研究室」より引用です

いろいろなメディアからの取材を受けたり、書評を読んで感じるのは「日本人よ、がんばれ」という叱咤激励型の言説に日本人自身がもううんざりしているということである。
叱咤激励的であるという点では右翼も左翼も変わらない。
「今の日本はダメだ」という点では進歩的反動的、老いも若いも、みな口調が揃っている。
「いいじゃん、もう、これで」という脱力系の言説だけが存在しない。
日本がダメである所以の過半は「怠惰」ではなく「勤勉」の結果である。
だから、「ダメなのでがんばる」という脊髄反射的なソリューションを採択している限り、「ダメ」さはさらに募るばかりである。
私はそう考えている。

なぜ日本は「こんなふう」になってしまったのか。
日本をダメな国にしようと邪悪な意図をもって活発に活動した日本人などどこにも存在しない。
ある種の社会的不幸に際会したときに、「その変動から受益している単一の張本人」がいると推論して、それを特定し排除しさえすれば世の中はふたたび「原初の清浄」に戻るという思考のしかたのことを「陰謀史観」と呼ぶが、世の中は残念ながらそれほど単純な作りにはなっていない。

社会的不幸には単一の有責者など存在しない。

責任の重さに濃淡はあるが、成員のほとんどが無意識的に加担し、成員のほとんどが間接的にそこから受益しているのでない限り、「社会的な不幸」と呼ばれるような重篤な事態は出来しない。
日本の刻下の不幸は「ダメな日本をまっとうな国にしよう」として試みられたすべての国民的努力のみごとな「成果」である。

『辺境論』における私からのご提言は「だから、努力するのを止めませんか」ということである。

国際社会でのリーダーシップも、経済成長も、学術での先導的役割も・・・そういう「身につかない」望みを持ったことによって、日本人は不幸になっていったのである。

論理的には当たり前のことで「向上心」というのは「欠落感」と同義語だからである。

「他者が所有し、自分が所有していないもの」について、それは「本来私もまた所有すべきものであり、他者によって一時的に不当に占有されているのである」というふうにシステマティックに考えることによって日本はこれまでやってきた。
権力も財貨も威信も情報も文化資本も、なべて他者がすでに所有して自分に属さないものを「私もまた所有すべきである」と一律に見なすことによって私たちは「向上心」に燃料を備給してきた。
それは恒常的に「欠落感に灼かれている」ということである。
絶えず上を向いて羨望のよだれを垂らしている「ビンボー人根性」をオーバーアチーブの唯一のモチベーションとしてきたということである。
それによってたしかに私たちの国は敗戦後、奇蹟の経済成長を遂げ、科学技術のいくつかの領域で先端的な業績を上げ、国際政治の一隅にそれなりの地歩を占めるに至った。その努力は多としなければならない。

だが、恒常的に欠落感を感じ続け、「世界標準へのキャッチアップ」だけでわが身を鞭打ち続けているうちに、日本人は国民的規模で「鬱」になってしまったのである。

現在の日本の不幸の原因は「過労」である。

過労でやつれはて、生きる意欲をなくしている人間に向かって、「さあ、『過労』を克服するために、刻苦勉励しよう」と言い立てるのはあまり賢いふるまいとは思えない。
少なくとも精神科の医者は止めるであろう。
個人については万人が同意する診断について、国民全体については同意できないというのは、そこまで「刻苦勉励病」の病巣が深く国民性格のうちに巣喰っているということである。
それだけ病状は深刻なのである。
だから、「休もうよ」と申し上げているのである(と言っている本人がまず休むことが先決なのだが、それができないでつい仕事をしてしまうというところに現代日本の病状の深刻さが露呈しているのであるが)。

私たちの国の言論人は人々に向かって「もっと努力しろ」と告げるタイプの言説しか語らない。

「そんなにむきにならなくてもいいよ。疲れてるなら、少しの間、休もうよ」といういたわりの言説だけが誰によっても口にされない。
これは異常である、と私は思う。

例えば、環境問題というのは誰が何と言おうと「働き過ぎ」の成果である。

働くほど環境は破壊される。

ほんとうに環境を保全したいと望むなら、自然の再生産が可能な範囲に経済活動を自粛するべきなのである。


緑に覆われたペロポネソス半島はいまは禿山だらけだが、それはギリシャ人が製鉄の燃料のために切ってしまったからである。
古代の経済活動レベルに戻してさえ、それでも環境は破壊されてしまうのである。
そのことを覚えておこう。

繰り返し論及している教育問題についても、同じである。
日本の子どもたちの学びへの意欲が急速に減退しているのは、「勉強すると金になるぞ」という類の経済合理性によるインセンティブを過剰服用したせいである。
小学生たちは深夜まで塾通いをしている。そんなふうにして学習時間はどんどん長くなり、教育費はどんどん高騰し、学力はどんどん下がっている。
それに対して、さらに学習時間を長くして、さらに教育費を高騰させ、学力による格付けと差別を強化することを教育行政はめざしているが、その結果がさらなる学力低下をしか生み出さないことに彼らだって内心気づいてはいるのである。ただ、脊髄反射的に「失敗したら、さらに努力する」ソリューションしか思いつかないのである。

繰り返し申し上げるが、現代日本の不幸の過半は「努力のしすぎ」のせいである。

私たちは疲れているのである。
私たちに必要なのは休息である。
『日本辺境論』が売れているのは、「もう努力するのを止めましょう」という(日本人みんながほんとうは聴きたがっている)実践的提言をなす人がいないせいである。
きっとこの後、潮目の変化を感じとった言論人の中から「日本人よ、ナマケモノ化せよ」といったタイプの言説を語る人が出てくるだろうと思うけれど、そういうことを「せよ」という当為の語法で語るのがもう「刻苦勉励」なんだよね。
こういう提言は「オレ、ちょっと疲れちゃったからさ、休まない?ねえ、休まない?」という懇請の語法で語られないと通じないのよ。


��・・

本当に久し振りに、世間一般的な社会生産活動に参加しているイトー

それでも極力、「お気楽な見習い身分」の立場を超えないように振舞っているので何とか生存していますが、働いても働いても一向に仕事の終らない先輩諸氏(と言っても、戸籍上の年齢は僕よりも若いと推察されますが…)を拝見しているだけで僕の方が先にストレスで押し潰されそうになっています…/(^^ゞ

まぁ、直ぐにドロップアウトするのは時間の問題でしょうネ

2009年12月3日木曜日

遍路日記09~あとがき

今回のこの旅を思い立った理由をふと考えてみたのだが、トライアスロンを始めた理由と同様にどうしても思い出すことが出来なかった。ただ私が以前に菜食生活に目覚めてからは、"直感"や"思い付き"で行動してきたつもりでいる。実際トライアスロンや今回の御遍路も何となく「カッコ良い」とか「面白そう」というイメージだけで始めた。そしてその結果、理由だけを先行して考え結局は何も出来ず仕舞いの不甲斐無い日々の過去の私とは大きく変わった。「取りあえずやってみよう!」というのが鍵のような気がする。

たとえば…

私達が或る行動に出る際に、その意義などについて考えていたら、一日12時間走り続けたり御遍路の全行程を「歩き&野宿」する事なんて思い付きもしないはずである。巷の”普通”をそのまま踏襲し、その流れに従うのが一番楽だしスマートだとも思う。しかし敢えてその流れに逆らうことで見えてくるモノもある。とを達成すると、何となく「俺って凄くない!?」

※以下草稿中…


これを「人間、その気になれば叶わない夢はない」と言うことも出来るかもしれないが、僕は敢えて「結果オーライ」と考えたい。また「取り敢えずは行動してみる」ことは、例え失敗したとしても(否、寧ろ失敗することの方が多かったが…)何らかの経験にはなったし、少なくても何もしないで引き篭もっているよりは"何ぼかマシ"である事も判った。

例えば…

もし、何十年ローンを組んで豪邸を建てたとしても火事や地震で崩壊すれば全てパー、後に残るのは、既に存在しないモノへ払い続ける負債と、新しい住宅に対する更なるローンである。四国の野宿では風雨が凌げる空間さえあれば十分に有り難いと痛感することが出来た。これが僕が今後、方丈生活を決心
する大きな理由の一つである。またもしも、高級外車を所有したとしても盗難などが心配では本末転倒のような気がする。四国での何も持たないフットワークの身軽さは、生活上かなり楽であることが判った。

それに四国での薄汚い格好で歩き続けた経験によって外見からはどう判断されても構わないと思えるようになったし、僕にとっては「佐渡フィニッシャー」の称号だけで十分過ぎる栄誉だと自負しているので、それ以上自分を着飾る必要はないとも思えるようにもなった。

あるいはまた、高収入の会社で働けたとしてもストレス過多になるような仕事では生きた心地がしないような気もする。人間、食べることさえ出来れば(それがどんなに質素なものでも)十分に健康で暮らして行けることを、菜食中心にトライアスロンに励んで来た暮らしを通して実感出来た。
その糧を買う金がなければ、畢竟自分で栽培すれば良いだけの話である。
「健康は金では買えない、自分で培っていくもの」
テレビショッピングでの健康食品の宣伝文句や病院に大挙する人々の群れを見る限り、そんな基本的なことを忘れてしまっている人が多いような気がしてならない。

えにぃうぇい…

お遍路から帰宅して既に1ヶ月以上経つ現在でも脚の裏の感覚は麻痺したままなのだが、四国での記憶の方は大分薄れて来た感がある。そろそろこの辺で道中で考え密かに書き溜めていた様々な戯言もこの辺りで封印することにしたい。因みに僕は今山形を離れ、新天地を徘徊中である。実は四国で気付いた事の一つに、「野宿」や「放浪」という一見は誰にも頼らないかに見えるライフスタイルも、実際はかなりの割合でその地域の人々や施設からの支えが前提で成り立っているということがある。そのため今回は別の方法を模索中なのであるが、やはり現実はそう甘くはないらしい。しかし勿論、そう簡単には挫折しないつもりだ。今後も自分の感性を頼りに、最大限の誠意と良心を持って暮らしていけば、これまでのように必ず途は開けると信じて止まない。

それでは次回、サードステップ開始のお知らせを一日も早くアップ出来る日を願いつつ…