2017年7月28日金曜日

(投稿)"常に冠を正さぬ"安倍首相

安倍首相の口から「李下に冠を正さず」という故事を聞いた時、私は思わず苦笑してしまった。なぜなら氏ほど(李下に限らず)冠を正さない政治家はまず見ないからだ。

国会での野党からの質問には、いかにも面倒くさそうに登壇する。
またその発言内容も、質問の主旨とは全くかけ離れていたり、ただの独演会の時もある。
さらに着席中には、言葉にするのも憚られる位の低俗な野次を発したりする。

そんな、冠を被る資格もないようなお方が急に冠を正すと公言し、低姿勢になったのだからこんな滑稽な話もない。まるで落語の「直に冠を被らず」のような勘違いである。

ちなみに前述と同じ意味で「瓜田に履を納れず」という故事もある。本旨とは違うが、私は安倍首相が瓜田に隠れている姿を想像した。今は低姿勢で目立たないようにしていれば、いずれ農夫(つまり私たち)も畑に泥棒が侵入したことすら忘れるだろうと勘案している図柄である。
もちろんこれは確かに私たちの怠慢で、過去には何度もこの手口で逃げられた。
なので今回ばかりは忘れてはならない。李は冠に隠されお友達に配られたのかもしれない。そして瓜も盗まれようとしているのかもしれないのである。


~2017年7月28日 朝日投稿→没

(川柳)民進党の終焉

ミイラ取り ミイラになった 民進党

改名が 戒名となる 民進党

蓮舫と 共に散るらむ 民進党

敵失に 仲良く付き合う 民進党

自民ダメ 民進党は もっとダメ

民進党 ああ民進党 民進党 

追伸
なんでだろう 蓮舫辞めて 安倍辞めぬ  

(投稿)蓮舫辞任と民進党の終焉

「蓮舫辞任」の速報を聞いた時、私は「蓮舫辞めて、なぜ安倍辞めぬ」という世論の圧力によって安倍内閣を総辞職させる捨て身の作戦だと思い、その後の蓮舫氏の記者会見も期待していた。
しかし実際には単なる民進党内でのドタバタ劇だと判り、一気に興醒めした。

まず今が安倍首相を貶める絶好の機会なのに、なぜそんな内輪もめをしている暇があるのだろうか。まさかとは思うが芸能人のように話題を振りまけば人気が出るとでも思っているのだろうか。
次に蓮舫氏に代わる人間が誰もいない状況で、なぜ辞任は了承されたのだろうか。まさかとは思うが前原氏や枝野氏で現状を刷新できると本気で思っているのだろうか。

とにかく今回のドタバタ劇は、現内閣に替わる受け皿を民進党に期待していた有権者の期待を心底覆す三文芝居だった。
故に民進党劇団もこのへんで解散するのが頃合いと思われる。
劇団員の先生方も自民なり社民なり、以前の古巣に戻って安寧な余生を過ごされることを僭越ながら進言する。
少なくても新党旗揚げなど、これまで何度やっても駄目だった無意味な行動だけは慎んで頂きたい。
それが国と国民を混乱させず、自民党に代わるもう一つの勢力を作るきっかけとなる、大人の嗜みである。

~2017年7月28日、朝日→没

2017年7月24日月曜日

愉快な東京五輪音頭

2020東京五輪には、森友&加計疑惑とは比較にならない規模の黒い利権が絡んでいるのは間違いないが、マスコミ諸氏はそれをすっぱ抜こうとはしない。
なぜなら、彼ら自身がそれらの利権に直接的or間接的に絡んでいるからだ。

そしてその利鞘を更に増やすため、そのカラクリを知り尽くした(おこぼれを貰える)芸能人や、「皆さん応援よろしくお願いします!」的な優等生アスリートを利用しつつ、表題の東京五輪音頭などでオリンピックムードを盛り上げようと躍起である。

彼らは「さぁみんな、踊れ、踊れ。アホになって踊れ!テレビにくぎ付けになって感動しろ!」と煽る。
オリンピック中に熱中症で倒れる人間が続出しても、オリンピック後の景気がどうなっても、不要な競技施設が負の遺産として国民負担として重くのしかかっても、そんなことは彼らには全く関係ない。

畢竟、儲かれば良い。

それだけなんである。

2017年7月23日日曜日

クリス・フルームに対するフランス人のブーイング

ツール・ド・フランス2017年の第20ステージ、個人TTでのこと。

スタート前のクリス・フルーム(英国人)に対し、場内(フランス)からは物凄いブーイング。
これに対し日本人からは酷過ぎるというツィートが目立ったが私は全然そうは思わない。フランスとイギリスは過去に何度もすったもんだがあるのだから、あれはあれで素直な感情表現だと思う。そして私たち日本人が見習うべきだと思ったのがその後の表彰式である。競技中はあれだけブーイングの声が大きかったのに、表彰式では賞賛する声の方が大きかった(中継する側の演出かもしれないが…)。競技が終わればノーサイドであり、たとえ勝ったのが他国の選手だとしても、勝者に対する尊敬はきちんと果たしているのである。

えにぃうぇい…

これを日本、中国、韓国の今の情勢と比較してみる。
たとえば日本で三国で競い合うような何等かの大会があり、中国の選手が優勝したとする。恐らく日本人の観客は先述したようなブーイングは浴びせかけないが、かと言って優勝者の栄誉を心から称えるようなこともまずない。翌日の新聞は僅差で敗れた日本人選手の感想がまず一番に記載されるだろう。それがイケないと私は思う。
歴史的に考えれば、日本、中国、韓国の間にあるシコリは絶対に拭い去れない。否、人間のアホさを象徴する証として絶対に拭い去ってはいけない。シコリを前提にして、それでも私たちは彼らと大いに競い合うべきである。競技中はそれこそ乱闘騒ぎになる位までヒートアップしても構わない。しかしいざ競技が終われば互いの健闘を称え合う。
シコリは絶対になくならないが、それ以上に友情が勝れば東アジア外交はかなりうまくいく。
日本と中国と韓国が手を組めば、アメリカだってEUだって脅威に思う。アメリカが日本を子分にして手放さないのはそう理由からなんだと、日本のマスコミは絶対に報道しない。そんなことを言ったら、直ぐに潰されるからね

ツール・ド・フランスでのヘルメット

ツール・ド・フランスでヘルメットが完全義務化されたのは(確か)2004年から。
つまりそれまでの100年位は、ガードレールのないダウンヒルを80km/h位で下る時もずっとノーヘルだったんである。

ところがそれから十数年しか経過していないのに、今では私のようにノーヘルでバイクを乗っている人間は結構(否、かなり)白い目で見られる。私は経験がないが、風紀委員みたいな人から口頭でお叱りを受けるような勢いでもある。
まぁそんな時には「ヘルメットよりも肩・肘・胸パッドを付けた方が落車の際の骨折などは防げるのでは…」とも言い返したいのだが、多勢に無勢、誰もそんな戯言は聞いてくれない。

えにぃうぇい…

今年のツールで「ヘルメットがあったから軽症で済んだ」みたいな事故や落車はあっただろうか。

私は知らない。

その一方で、「肩・肘・胸パッドがあれば…」みたいな落車はいっぱいあった。
もちろん私もロード乗りの端くれ故「そんなモノ付けて走れるか!」という気持ちである。
でもそういう反論は、ヘルメットの時も当然あった。

いなあざーわーず…

安全重視の方々は、ヘルメットと同等またはそれ以上に各種パッドも付けて走るのが道理だと思う。
もしそれで「パッドは任意だろ」という御意見なら、ヘルメットも任意にして頂きたい。
つまり安全重視派の方に「ノーヘル派の人間はテキトーにスルーしてくれんか!?」と言いたいだけであ~る。

追伸
ちなみに私の練習コースは、インターネットが圏外で、四輪車より熊と遭遇する確率が高いような場所ばかりである。
市街地走行が主で四輪車との衝突事故を前提にしている人とは全くケースが違う旨を予め断っておく。



2017年7月21日金曜日

2017年7月20日木曜日

ツール・ド・フランスに日本人選手が少ない理由

日本には、甲子園とか箱根駅伝などの国内完結型のビックイベントがある。
将来的にはメジャーリーグやオリンピックで活躍できる可能性のある選手でも、おらが村の代表として担ぎ上げられ、実力以上のパワーを発揮するよう要求され、そしてその期待通り(?)20歳前後の若さで燃え尽きる。
またそういう選手の多くは、幼少時から定番のルーチンワークばかり課せられ、しまいには進学就職から生活全般に至るまでコーチの言いなりになる(ならざるを得ない)。
そしてもし仮に、その選手が野球より自転車競技に向いていると評価されても転向することは極端に忌避・敬遠される。

その一方で…

諸外国では、サッカーならワールドカップ、自転車ならグランツールなど、そのヒエラルキーは明確である。
その頂点を目指す選手やスタッフも、レベルがレベルだけに無理はしない(させない)。その代わり、どうすれば速く(強く)なれるかを常に自分の頭で考え(させ)る。発想も柔軟で、既存のメソッドやドリルにこだわらない。
そしてもし仮に、その選手がサッカーよりも自転車競技に向いていると評価されたら即座に転向を考えるだろうし、両立する道だってある。

つまりユースまでは世界レベルなのに、大人になっても伸び代がなく埋没してしまうケースや、野球やサッカーなどの人気種目だけが注目され過ぎるせいで、折角の才能が生かされないケースが日本には多過ぎるからだと私は考える。

2017年7月19日水曜日

ツール・ド・フランスのグルペット

日本風に言えば、護送船団方式と言ったところか…
元々日本にはそういう傾向が強かった。
ところが最近は、自己責任論とか優生思想的傾向を持つ人が激増している。

ちなみにグルペットの面々は、毎日どん尻な訳ではない。
働くときは物凄く働く。
また、普段はトップグループで活躍する人間も、事故や落車でグルペットの助けを借りなければならないこともある。

自己責任論者は、その辺を考慮しているのだろうか…




2017年7月18日火曜日

Le tour de France ラウンドアバウト

意外と気付かないかもしれないが、中継で信号機にお目に掛ることはあまりにない。
その代わりによく見るのが、ランダバウト(round about)環状交差点なり。
※私はずっとラウンド・アバウトのフランス語読みがラ(ウ)ンダ・バウトだと思っていたが、フランス語では「ロン・ポアン( rond-point)」というらしい。あやうく恥をかくところだった… 

コレの一番の利点は、環内に車両がいなければ一時停止せずに徐行で通過できること。

つまり日本のように、往来の全くない田んぼのど真ん中の交差点で、信号が青になるまでアホみたいに待つ必要はない(よって、私のように信号を平気で無視する人間が「自転車乗りの恥じ!」だと貶されることもない)。
そして、そのような交差点に信号機を設置する費用と、24時間点灯させ続ける電気代を湯水のように捨てる必要もない
さらには、景観の美しい田舎道や、古い建物が並ぶ街並みの美観を損なわなくて済む。

まぁ、100m先の信号が赤になったばかりなのにギリギリまでアクセルを蒸して進行し、急に思い出したようにブレーキで停止するドライバーが多く、街の景観なんぞも全く気にしない人間も多いこの国ではそう簡単には普及することはないとも思われるのだが…

(投稿)内閣支持率激減の不思議

★take1

先日マスコミ各社から発表された安倍内閣に対する世論調査について、私には腑に落ちない点がいくつかある。

まず安倍首相の国体重視(国民軽視)政策は第一次内閣の頃から首尾一貫している。
そして持病を理由に国の舵取りを放棄しても、「絶対にあり得ない」と豪語した消費税増税を新しい判断で延期しても、私たちは支持し続けた。
それが今になって急に信頼できなくなった人が激増したのである。

次に「他に選択肢がない」という理由で首相を支持する回答が多いが、果たしてそうだろうか。私には首相とそのお友達以上に酷い政治家は思いつかない。
首相の「こんな人たち」や「新しい判断」発言も然ることながら、お友達の中にも数々の名言集がある。
それでも私たちは「こんな人たち」を支持するのだろうか。

そして何より、安倍叩きだけが目的のような結果ありきの世論調査を報道各社が一斉に始めた点だ。
そもそも「決められない政治」などと揶揄し、今の独裁体制の波を起こしたのは彼らである。
安倍首相はその波を有効利用しただけだし、私たちはその波に呑まれただけである。
とにかく物事を客観的に俯瞰する能力が今の私たちは欠如している。


★take2

最近の報道各社の世論調査では安倍首相に対する信頼感が軒並み激減しているが、私には腑に落ちない点がいくつかある。

まず氏の資質が疑われるような言動は今に始まった話ではない。
国体重視(国民軽視)の政治姿勢も以前から首尾一貫している。
そして何より、持病を理由に国の舵取りを放棄したお方だ。
これがもし船長なら懲役刑レベルだが、現実には再び船長に祭りあげられ、今日まで支持され続けたのである。
まずはその経緯を総括すべきだ。

次に、「絶対にあり得ない」失言、閣議決定、法案通過が繰り返されても支持率に大きな変動はなかったのに、テレビのワイドショーで越後屋と悪代官の蜜月のような報道がなされた途端一気に形勢が逆転したのである。
これは明らかに私たちが政治には無関心を貫き、且つ政治家と芸能人を同一視している証左であり、今後の私たちの課題である。

そして何より、このような劇場型政治を仕立て上げた報道各社にも責任がある。
「決められない政治」と揶揄して今の独裁体制の礎を作ったのに、ここにきて一斉に安倍叩きを始めているのだから究極の自作自演(マッチポンプ)と言ってよい。

とにかくこれは首相の資質を問うだけではなく、国民全体の問題として各自が熟考すべき事項だと私は思う。

2017年7月16日日曜日

ツール・ド・フランスでのリングワ・フランカ

言語能力というのは、相互理解を尊重してこそ培われる。
母国語が違うプロトンの中で意思疎通が出来るのも、中卒で欧州に武者修行に行った日本人が仏語をペラペラになるのもそのためである。

だからこそ、中国人や朝鮮人を極端に忌み嫌いつつ、就職に有利だからとか、ただ単にカッコ良いからという理由で外国語を修得しようとする人は余計に時間が掛かるのであ~る

2017年7月14日金曜日

ツール・ド・フランスの盛者必衰

恐らく自分たちの天下は永久に続くものではないとskyの面々も自重しているはずである。

それは隣国との戦争を繰り返し、何度もやったりやられたりした上での処世術とも思われる。

「日本 良イ国 強イ国 世界二輝ク偉イ国 」と慢心する傾向の強い私たち、そしてその頃の日本に戻そうとするムーブメントがある今だからこそ、ナチスドイツを反面教師にする(ドイツ人を含めた)欧州人に見倣うべきではないだろうか。

2017年7月9日日曜日

Le tour de France 落車

選手の事故ではない。
「ライブで鑑賞することを私は諦めた」という意味での落車なり。

私は夏には、少なくても21時には寝ているので、選手がゴールする時間(深夜0時過ぎ)までは起きていられない。
※まぁ現実には自分の時差をズラせば良いのだが、そうすると通常5時から行っている朝練の時間に起きられなくなり、7時過ぎると暑くなるので出動するのが億劫になり、…という事情なり。

という訳で、私にはライブ鑑賞は無理だということが判った。

2017年7月7日金曜日

ツール・ド・フランス 農業国

フランスは服飾ファッションの世界だけで儲けているわけではない。
ワインやチーズなど農業製品の分野でも創意工夫してその地位を確固なものにしている。
カマンベール村などはその好例と言える。

その一方で今の日本の現状を考えると非常に判り易い。
シンゾー君は自動車や電化製品を売ることしか考えられず、ましてや農業なんて眼中にさえない。
石油がなくなったら自動車なんて祖代にしかならないのに、永遠に穀物と交換可能だと錯覚している。
つまり思考回路は多分お爺ちゃんの時代で停止したままだ。

ちなみにドイツでは、林業も自動車産業に匹敵する主要な基幹産業である。
森林を放置したままの何処かの国とは視野の広さが全く異なる。







2017年7月6日木曜日

Le tour de France 2017 街並み風景

ヨーロッパの街並みに見る統一美は、その景観とか観光客誘致とかを考える以前から徹底している。
個々の自由や権利に対する意識は日本人とは比較にならないくらい強いはずだが。自宅の壁や屋根の色をどうするかは暗黙の了解となっている。

その一方で…

日本は元来「垣根」の文化であり、こう言っては何だが都市計画なんて発想は微塵もない。
客間から見た庭園の風景にはとことんこだわるが、外からどう見えるかなんてことも全く考えない。
そんな流れが今の私たちにも浸透しているからか、あるいはそれ以外に個を主張する機会がないからなのか、屋根の色を隣家と変えることがオリジナリティーだったりする。
※屋根の色以外は同じような間取りだとしても、全然気にしない…

追伸
どちらが云々と言うつもりはない…

Le tour de France 2017(3) プロトン

ロードバイクレースのプロトンでも渡り鳥の編隊でも、自分の使命を熟知している個々が集まる姿は非常に美しい。個々の容姿はまったく異なるのだが、集団全体として見れば一つの機械や生命体のようにしか見えない。

その対極にあるのが、コンサートホールでお遊戯を披露するアイドルユニットや、就職活動をする学生たちだと私は思う。
自分が何をしようとしているかの本質は考えず、時代の本流に流されているだけ。
なので、皆が同じ服装且つ同じ歩幅で踊っていたり歩いていても、私には北朝鮮のマスゲームのようにしか見えない。

2017年7月4日火曜日

(川柳)北朝鮮からの援護射撃?

惨敗も飛ばしてくれた弾道弾
都議選の惨敗も消す弾道弾

何となく、シンゾー君がジョンウン君にホットラインでお願いしたような気もした…

2017年7月3日月曜日

ツール・ド・フランスに日本(人)チームができたら

日本企業がスポンサーのチーム、或いはほぼ日本人選手だけのチームを少しだけ想像してみたが、今の典型的な日本人のままでは絶対にあり得ないことだとも思った。

まず誰かに「よう、ジャポーネ!」と挨拶されても(相手から見れば意味不明な)愛想笑いをするだけだろうし、レース中のコース取りで「危ないぞ、バカヤロー!」なんて怒鳴られてもポカーンと口を開けたままだろう。

またレセプションでも、選手とスタッフが団子になって離れないだろうし、日本人(日本語)だけで異様に盛り上がっているシーンも容易に想像できる。

追伸
欧州のマナーや言語力を備えてないのは、それはそれで仕方がない。
しかし例えば、新城がフルームと会話していると、皆が一斉にその輪に強引に入ろうとするのが日本人の典型である。
群れたり、皆で同じような動きを一斉にするのだけは控えた方が良いと私は思う…