2012年9月27日木曜日

東京マラソン落選

流行モノには絶対に手を出さない種族であるが「出場権を闇で売るとどうなるか?」みたいな気持ちもあり、今回初めて応募してみた。
今年は佐渡Aにも当選したし何となくハズれる気はしなかったが、やはりその辺は佐渡とは倍率がケタ違いなのだろう。
これで「来年はウルトラトレイルだけに没頭出来る!」
とは思うものの、元来アドベンチャー志向が低いため、中々実行に移せない人間がココに居る。
八ヶ岳スーパートレイルも100kmなら未だ参加出来そうだが、「半分がオンロードっていうのも…」とか「もう少しトレランの練習してから」とか、言い訳はいくらでも思いつく。
と言うか、今現在だって走ろうと思えば走れるのに、今夜が深夜勤務なので何となく億劫になってしまってダラダラと過ごしている。
ここ最近の天気と相まって、結構ブルーな日々が続く。
何とか脱却しなければ…

2012年9月21日金曜日

続、カッコーの巣の上で

世間からドロップアウトしてみると、健康診断以外にも様々な???が今の社会には存在する。
例えば、平均すれば1時間に1台通過するかしないかような田舎の交差点の信号機。
当然ながら全然対向車が来ない(因みに周囲は田んぼなので、百メートル先を見ても対向車の姿は見えない)にも関わらず、ズボンを腰下までズリ下げた高校生が律儀にも信号が青になるまで待っているのである。

この光景を見て
「何と素晴らしい安全なシステムを作り上げた!」
と感嘆するのは私だけだろうか?

リスクとデンジャーの履き違え…

多分その交差点で赤信号に従わずに進行する私のような人間は、後日新聞の投書欄で「子供が見ているのに何故そのようなルール違反が出来るのか理解出来ません」と、その始終を後ろで見ていた親子から叩かれるのだろう。
その信号機を設置するのにどれだけの費用が掛かり、24時間作動させるのにどれだけの電力が必要とするかは、恐らくそのママには思考の範囲外なのかもしれない。

とにかく「カッコーの巣の上で」という映画を見て欲しい。
それでも何も気付かない人は、一生奴隷状態でいることに気付かない人なのだろう。

2012年9月20日木曜日

カッコーの巣の上で

先日、健康診断なるものを半ば強制的に受けてきた。

先ずは、あの囚人服みたいなモノを着ろと言われただけで逃げ出したくなった。
更に、番号の書いてある色んな部屋に行ってチェックを受けろというのである。
これが収容所でなくて何だと言うのだろう…

予想通り、各ブースでは数分単位で待たされる。
例えば血圧測定
因みに今回の健康診断で使用した血圧計は、僕の通うジムに設置てある所謂普通のモノに見えた。
にも関わらず、看護士さんからの「落ち着いて下さい」云々の説明を受ける。
こう言っては何だが、セルフで出来る血圧測定にわざわざ行列を作り、看護士の資格を持つ人に立ち会って貰う必要がどこにあるのだろうか…!?

anyway…

この状況に苛立ちを隠せないような人が全くいないことに私は更なる戦慄を感じた。
��皆、心の中ではそう思っているのかもしれないが…)

重ねて言うが、身長・体重計測に更に数分待たされ、血液検査などは献血センターでやって貰った方が何倍も効率が良いのに、何故こんなに待たされても平然としていられるのか…?

もう少し、今のこんなシステムに???と思う必要があるのではないだろうか?

とにかく…

今年は健康保険証を一度も使わなかったのに、年収100万円で国保の保険料が8万円近く収奪される理由が判った。

2012年9月18日火曜日

台湾行きのスロウ・ボート

今年は断念することにしたが、もしアイアンマン台湾がフルのアイアンマンディスタンスなら、もうチョッと前向きに考えただろうと思う。
やはり佐渡A出場権のためだけに、大枚を叩いて海外遠征までしてハーフアイアンマンに参加しても費用対効果は余りないような気がした。
それに今年中はもう本気でバイクに乗る気はしないし、県民の森さえ登りたいとは思わない。
多分出場したとしても楽して完走するのが関の山だろう。

正直、昨夜までは完全にエントリーする気持ちでいた。
ところが海外どころか飛行機すら乗ったことのない人間が色々調べてみると…

★先ずパスポートを取得するのに1万円以上も掛かるのに驚き…
★次に例え航空券が「成田~台北¥24,900」だったとしても、燃料何某チャージャー代&その他云々で結局は¥40,000以上掛かってしまうこと…

まぁ宿泊先だけは↓のようなイメージなら是非留まってみたいし、例えもっと劣悪な環境であっても野宿よりはナンボかマシだろうし、その辺も貧乏旅行の醍醐味かもしれない。
※もしも気さくなオーナーなら台湾の常宿としてベースが出来る訳で、こんなにラッキーなことはない。

墾丁(ケンティン)のとあるB&Bのサイト

しかしこんな妄想をする前に、先ずはもっと練習を重ねハワイ行きのスロットを獲得出来るかもしれない位にまで進化するべきだとようやく気付く。

追伸
くじ運の強さが未だ残っているとして、来年だけは佐渡の代わりに宮古で散財しても良いかなぁと思う位は許して欲しい。
勿論、航空券はスカイマークのスカイバーゲン&宮古割をフルに活用し、宿は勿論、野宿であるが…。

案ずるより…

ここ最近あっちを向いたりこっちに戻ったり、堂々巡りの日々を過ごす。

「森の生活」とドロップアウトその他は、もう少しの間は焦らずにじっぐり詰めていくことした。
台湾ハーフアイアンマン出場も今年は断念。
宮古は抽選に当たったら考えよう。

それよりも、もう少し地に脚を付けて暮らさなくては絶対交通事故に遭うぞ!

2012年9月16日日曜日

森の生活

実家に頼った「借り暮らし」ではなく、チョッと頑張ってみようかと思った。
「あと何年生きられるか」とか、「年収100万で暮らす」とかなんて打算するのではなく、とにかく終の棲家(つまりそれが墓となる)を建ててみよう。

2012年9月16日。

休酒の誓いと共に、呟いてみる。

2012年9月11日火曜日

東京野暮用弾丸ツアー

日曜の朝4時半に山形を出発。
ホントはもっと早く出発出来たのだが、場違いな飲酒運転の検問にでも引っ掛かったら絶対に昨夜の酒が致命的になると諭した故の遅刻である。

脚はスーパーカブ(110cc)での下道(一般道)オンリー。
14時頃に東京着、そのままアメ横の「ロンドンスポーツ」「ジュエン」「アートスポーツ」の三大スポーツ店を巡礼。
�1,050の長袖Tシャツ(mizuno)、¥1,050のウィンブレ(asics)、¥890の無名メーカーのミラーレンズのスイムゴーグル(競泳タイプもどき自ら称しているところがニクい)、¥680のTシャツ(adidas)、
その後シェラフをどれを買うかで迷い、一日考えることにして兄貴の自宅に居候。

翌月曜は、先ずは¥17,010のKSWISSのトライスーツ一張羅を衝動買い。
欲しいなら買う。そして働けば良いのである。
(逆に言えば、欲しくないなら買わない。その分働かない)

そして結局シェラフは、値段と軽さで石井スポーツの¥19,800のモノに決断。
しかし後から見直してみると、(今回の購入した)ダックとホワイトグースの違いは結構明らかで失敗したかなぁとチョッと後悔

更に、トライスーツの下のサイズがSSだったことが判明。
試着して問題ないから購入したのだが、何となく気分的に失敗した感じ。

そんなこと位で悔やむ、超小心者なのである。

その後、東村山のカブ購入店で1000km点検&オイル交換し、15時頃の出発。
西東京の~埼玉近辺は全然土地勘がないのでかなり迷って渋滞にハマり、帰宅は日が替わって24時をチョッと過ぎ。

まぁ無事故無違反で帰って来られたことに感謝するのが筋ではあるが、山形に入ってからは大型荷物を運搬するトレーラー集団やパトカーからピッタリと後を付けられたり何となく後味の悪い帰還だった。

2012年9月7日金曜日

佐渡に纏わるエトセトラ(2)

その壱

まずはスイムパートでのこと…
延々とコースロープに跨りながら進んでいく若者がいた。
イメージとしては、アメリカ映画のストリップショーでステージの真ん中に立つポールを擦り擦りするストリッパーのような挙動である。
上手い具合にリカバリーした腕は水面から綺麗に出しているので、海上から見れば普通に泳いでいるように見えるだろう。
ロングジョンだったのでゼッケンをマーシャルにチクってやろうと思ったが、綺麗に(確信犯?)下二桁が消えていた。(1000番台なのは確か)
最初は相手にしないつもりだったが、不運にも私と同じスピードだったので並走するうちに段々腹が立ってきて、結局リカバリーする彼の手を握り「卑怯だぞ!」と叱咤した。
その後しばらく彼の姿は見えなくなったが、二周回目の途中に再度彼の姿をコースロープ沿いに発見したときにはもう開いた口が塞がらなかった(彼のお陰で今年は例年以上に海水を飲んだような気がする)。

その弐

次は佐渡では有名な(?)ドラフティング祭り。
しかし、今回発見したコバンザメのオジさんはそんな可愛いモノではなかった。

この方に関してはゼッケンもハッキリ判別出来た。名簿を見る限りは関西地方から参加されたの50歳台の男性である。
彼は前の人にピッタリくっ付いて追走していた(もちろんアイアンマンなら失格級の違反)。
最初はそんなアホに注意しても意味がないので、寄生されている前の人に「後ろの金魚の糞は誰ですか?」と聴こうとも思ったが、そんなアホに構う人間もアホだと思い直し何も言わずに追い越すことにした。

しかしその後、私自身の脚の痙攣がハンパなく酷くなって悶えている最中、そのオジさんから再び抜かされることとなった。もちろん彼の前にはさっきよりも活きの良い人間を従えていた。

ブラボ~!

後日リザルトを見て笑ってしまったが、このオジさん、なぜかバイクだけは100番台の(異様なまでの)好成績。
ちなみにランは7時間以上(順位は500番台)の成績。

私は思う。
コースロープを手繰り続けた若者にはまだ未来があると。
今後レース経験を重ねることで、そんな過去の自分を自ら悔い改める機会もきっとあるだろう。

しかし残念ながらこのオジさんに未来はない(文字通りの未来もないが…)。
もうすぐ60歳というのに、ドラフティングというトライアスロンで一番恥ずかしい行為を何とも感じないのだから、恐らく死ぬまで何とも感じないだろう。

もしかするとこのおじさん、地元に帰れば「バイクの○○さん」で名を馳せているかもしれない。
私はそんな○○さんが、地元での大会の打ち上げでどんなレース談義をしたのかに非常に興味がある。

2012年9月6日木曜日

なぜウェットスーツを着ると手を腰に当てたがるのか?

何となく銭湯で入浴後に瓶入り牛乳を一気に飲み干すときのような、そんな心境にも思えますが…


恐らく本当のところは、背筋をしっかり伸ばしていないとダメなので、日常生活での姿勢が悪い人ほど腰に手を当てる傾向が強いと思われます…v(^o^)/

追伸
各出版社の編集者様へ
このネタで新書を作りたい時は最大限御協力致します。

2012年9月5日水曜日

佐渡に纏わるエトセトラ…

心の整理は付いた(つもり…)
身体の方は両足の筋肉痛が超回復次第再開予定。
やっぱり佐渡は素晴らしい大会だった。
「JTUのお偉方の…」云々は考えないようにした。

ただし此処で問題が一つ…
来年の佐渡出場権が消失した今、何処でどうするかを目下考え中である。

台湾などの海外のアイアンマン予選に大枚を叩いてエントリーし再度Aタイプに挑戦するか、銚子などの51.5の国内大会で最小限の参加資格を得て来年だけはBタイプにエントリーするか。
それとも来年夏に一番コストの掛からないATCカップで出場権を獲得て、佐渡Aリベンジは再来年に持ち込むか…。

勿論どちらにしても、来年の抽選に外れれば元も子もないのだが…


2012年9月4日火曜日

2012佐渡トライアスロン②

結局、曲がりなりにも走れたのは6kmまで…。

バイク中に期待していた「ランなら違う筋肉を使って走れる!」という一縷の望みは叶い、痙攣だけなら騙し騙しゴールまで辿り着けそうな感じである。
しかし走ってみて気付いたのは着地時にその振動を吸収してくれるはずの大腿筋が全く機能しないことだった。
これまでの山下りや筋トレ練習の中で大腿筋が格段に弱いことは痛感していた。それを見て見ぬ振りをしていた自分が不甲斐ない。畢竟、何某の事故を想定外とした何某達と全く同じであると…。

anyway…

歩くことなら楽に出来る。
ただ沿道の人々があんなにも一生懸命応援してくれるのに歩くのは失礼だと思い、わざと"しかめっ面"で歩いた。
そしてその間、色々と考えた。
総合100位以内のシード権の夢はこの時点で砕け、あとは制限時間内の完走だけが焦点である。
「前回は歩かない」ことが目標の一つで、ちゃんと達成することも出来た。それに比べて今回は何と不甲斐ないのだろう。

途中、10km地点の畑野ASでブルーシートの上に仰向けに寝そべってみた。


またまた言い訳をすると、前回は此処のASなどドリンクをサッと飲む位で、全く立ち止まらずに通り過ぎた地点である。
「もう止めようか…」と思っていると、運動生理学を学ぶボランティアの学生から「ストレッチしましょうか?」との申し出があり、藁にもすがる思いで懇願。(これまで支持していた彦井氏のストレッチ不要論などはどこ吹く風…)
そう言えば前回はレースに夢中で余り実感出来なかったが、こんな状態になってようやくボランティアの人々や沿道の人々の優しさに気付くこととなったのは今回の唯一の収穫かもしれない。

そんなストレッチの最中、近藤真彦さんが全く立ち止まることなく涼しげな顔でエイドを通過していった。
以前の日記で私は「最低でも近藤マッチより先にゴールする」と茶化したことがある。
颯爽と駆け抜けていくマッチと、その勇姿をブルーシートに寝そべりながら眺める自分…。
こんな状態になってようやく、自分がこれまで如何に天狗になっていたかを思い知ることとなる。
一応その後、ストレッチをしてくれた学生さんのためにもマッチを追いかけようと走ってみたが1kmが限界だった。
当然ながらマッチの背中など見るすべもなかった。

ようやく、この結果に潔く敗北を認め、次の大野WS(12.5km地点)で躊躇することなくアンクルバンドとゼッケンを係員に返却する。

2012年シーズンは来年のAタイプのシード権どころか、Bタイプの出場権すら無くして幕を閉じることとなった。
護送車を待つ間も日差しと暑さは相変わらずだったが、心の中では一足早い秋の匂いを感じることができた。

(おしまい)

追伸
途中経過をチェックして貰った皆様、と言うか私の方からチェックするようお願いした皆様には多大な御心配御足労を掛けてしまい大変申し訳ございませんでした。(「どんな状況でも完走だけなら間違いない」と豪語した私のせいです…)
また本戦出場の抽選に漏れた方に対しても失礼な振る舞いをした訳ですが、こないな人間にゴールゲートを潜る資格はないということで、どうか御了承戴けたらと願う所存でございます。


2012年9月3日月曜日

2012佐渡トライアスロン①

本当は今回の佐渡のことは何の言い訳もせず、一切書かないようにしようと帰宅途中にはそう考えていた。
しかし過去に何度も大言壮語していた以上、それは言い訳をする以上に卑怯なことなのではと感じ、今の自分を曝け出すためにも以下に書き記す。

大会前夜は2009年の本大会以来の3年振りのレースのためか、21:00に布団に就く(と言っても、スタート地点の海水浴場公園にある東屋でバスタオルを掛けただけ…)が、期待と不安で興奮したせいか殆ど睡眠出来ず仕舞い。(曲がりなりにもウトウト出来たのが合わせても1時間位か…)


ただし眠り薬と称して就寝前に梅干焼酎を3杯
呑んだのは言い訳にはならないだろう。(何故なら、2009年の前夜はもっと呑んでいた)

スイムは今年から2周回になった。
遠浅の海で尚且つ一旦上陸させる展開なのでスイムを苦手とする私にとっては有利(な気がした)。
案の定、タイムは前回より3分位遅かったが順位は100番近く上がった。(最終コーナーの波のウネリがスイマーにとっては致命的だったのか…)
しかし「一旦上陸したのにまた泳ぎに行かなければならない」という精神的なダメージも想像したとおりだった。(前回までは上陸した時点で、もう泳がなくても良いという感慨が大きかった)
更にここで言い訳しておくと、二周回目の浅瀬を歩いている時点で既に向う脛に痙攣が起きそうな予兆があった。

スイムアップは約1時間30分34秒 363位

今回も超苦手なスイムを無難にまとめられたので気分良くバイクパートに進むことが出来た。ただ乗車後直ぐに欠乏感がして予定よりも全然早く一投目のジェルを補給する羽目になったり、ケツポケットのジェルを落として拾いに戻ったりと、"ぎこちない"動作も目立ったのは「睡眠不足のせいかなぁ…」と気掛かりでもあった。

そして…

そんな嫌な予感は見事的中し、もう約40km地点で既に左足裏に最初の痙攣が起こる。
それから先は「痙攣→補給→解消→痙攣…」の繰り返しで、塩タブレットやジェルで誤魔化しながらの長旅となった。
また住吉AS以降はランパートに余力を残すために抑える作戦で、作戦とは言うものの結構な数の人々に再び抜き返される屈辱は精神的にもかなり凹む。
そして終に、約180km位の地点で尻をサドルから持ち上げた瞬間に両足がピーんと伸びたまま膠着してしまい、もうどうすることも出来なくなってしまった。最初は所謂「立ちゴケ」の要領でなるべく衝撃が少なくなるように倒れ込むことを覚悟していたが、渾身の力で左足だけはクリートをペダルから外すことが出来たので最悪の事態だけは避けられた。そして更に幸いなことにそこは市街地で、そばで応援されていた住民の方がタライに水を用意されていて、筋肉の膠着状態をほぐして貰うことが出来た。
そこでは5分位休憩し再出発することは出来たが、そこからバイクフィニッシュまでの約10kmはクリートをペダルに固定することは出来なかった。チョッとでもペダリング以外の負荷を加えれば直ぐに痙攣を起こし、今度こそクリートさえ外せなくなりそうな気がしたからである。

そんな状況ながら、何とかバイクフィニッシュ。

バイクラップ(グロス):6時間55分33秒 203位
スプリット(スイム+バイク合計):8時間26分07秒 223位

目標(バイクラップ:6h30')より若干遅れはしたが、それは今回の暑さとさっきの転倒&休憩、そして前回バイクで飛ばしすぎた失敗を踏まえバイク後半は脚を温存した作戦の結果である(と自分を慰めた)

何より、今回の一番の目標はランパートを3時間台でクリアすること。
(リザルトを見れば、その作戦に間違いはなかった…)

「もうバイクを走る余力は全く残ってないが、ランなら違う筋肉を使って走れるのではないだろうか!?」
そんな期待だけを頼りにトランジットエリアに座り込んで(普段なら座り込むなど考えられない)バイクシューズからランシューズに履き替えてみた。
立ってみたら意外と走れそうである。

「とにかく、行けるところまで行ってみよう」
そんな気持ちでランをスタートしたのが14時26分。
とり合えず残り42.2kmあることは考えないようにした。

(つづく)