2014年1月27日月曜日

子供のおねだり

私は従軍慰安婦を肯定したり集団的自衛権を主張するお偉方の意見を耳にする度に「他のみんなもやってるのになぜ僕だけダメなの?」という子供のおねだりを思い出す。

確かに機会や権利は均等であるべきだし、時にはそれを声高に主張すべき必要もあるだろう。しかし子供のように我を通してばかりではいずれ呆れられる。ましてや「どこの国にもあった」などという言動は責任ある人間の台詞としては決してありえない(公共放送の会長なら尚更だ)。

そんな観点からも私達に今必要なのは、物事を冷静に判断し時には辛抱強く忍ぶ大人の態度だと私は思う。ましてやそうでなくても近隣諸国とぎくしゃくした状態なのに、更に波風を立てる必要など全くない。しかし現実には宰相自らが喧嘩をけしかけ、更には鉄砲を持ちたくてウズウズしている、まるで子供のような有様である。

子供に不相応なモノを与えてはならない。そして子供の喧嘩のような沙汰が戦争に発展する可能性があることを決して忘れてはならない。

2014年1月20日月曜日

市民が国に反対しても叶わなくはないと私は思う

例えば独立運動を開化させれば良い。
これ程まで散々に裏切られた経緯がありながら、日本国に従属する義理は毛頭ない。

最も簡単な交渉相手は言わずもがなアメリカである。
今の沖縄の状態は言うなれば日本国という親方からピンハネされて土地を"また貸し"しているようなモノである。
ならば直接アメリカと地代交渉を行い、正規の商談をすれば良いだけだ。
そうなれば理不尽な契約はなくなるし、何よりコチラの都合でビジネスが出来る。

場合によっては中国に接近してみるのも面白い。(まぁこれはアメリカが諜報して阻止するだろうが…)

いずれにしても今回の選挙結果に、琉球民族の心意気を垣間見た。
何度も言うが景気なんてものはマヤカシ、a piece of cakeである。
にもかかわらずヤマトンチュウは完全に騙されている。
お金では買えない自然が沖縄にはまだ残っている。
世界でも有数のサンゴ礁をコンクリートで台無しにしてはならないという良心があるのではないだろうか。

沖縄や奄美は単独でも世界のセレブが集う有数のリゾート地になる素質は十分にある。
でも日本の属国になって(そして米軍基地が存在して)いる限り、恐らくそれはあり得ない。

なぜなら…

本土の人間は沖縄のことを本気で愛することはない。
本気で愛する人間は日本を捨てて沖縄に移住し、そして無意味な闘争意欲を放棄してしまうからだと私は思う。

2014年1月8日水曜日

「公共」なる教科とは…

生徒に対し、安倍ちゃんたちの都合の良い人間になって貰いたいがためのモノである。

一生懸命に働き(納税もしっかりとネ)、社会秩序を遵守(警察力に余計な出費はしたくないし、おかしな思想にハマってはいけませんょ)、選挙には必ず一票を投じ(あとは俺たち政治のプロに任せとけば良い)…、みたいなことを教えるモノらしい(推察)

しかしこのような教科が出来る、もっと怖い理由は…

私のような社会の不適合者を更に侮蔑の目で観るような風潮が出来ることである。
社会の模範となる像が理想化されればされるほど、言外ではそれにそぐわない人物を排除する傾向になる。

働かないアリにも十分にその存在意義がある。
しかし恐らく「公共」は、そういったモノは絶対に許容しないだろう。
そして全体主義的世界観がどんどん増長するのである。

私はそんな未来がくるかもしれないことを本気で危惧している。

2014年1月3日金曜日

元旦に気負い過ぎると…

挫折するケースが多いような気がする。

なので正月からジョギングなどすると、すれ違う人々から「どうせ三日坊主だろう」とか「アイツ箱根駅伝に影響されたんだょ、きっと」とか思われるのが嫌で余計に走る気もしない。

しかし今年の正月は元日を除けば結構良い天気だったので結局走ってしまった。
恐らく、かなりの確率でそう思われただろう。
でもそんな時にはこうつぶやく。
「ザクとは違うのだよ、ザクとは…」