たとえば…
私達が或る行動に出る際に、その意義などについて考えていたら、一日12時間走り続けたり御遍路の全行程を「歩き&野宿」する事なんて思い付きもしないはずである。巷の”普通”をそのまま踏襲し、その流れに従うのが一番楽だしスマートだとも思う。しかし敢えてその流れに逆らうことで見えてくるモノもある。とを達成すると、何となく「俺って凄くない!?」
※以下草稿中…
これを「人間、その気になれば叶わない夢はない」と言うことも出来るかもしれないが、僕は敢えて「結果オーライ」と考えたい。また「取り敢えずは行動してみる」ことは、例え失敗したとしても(否、寧ろ失敗することの方が多かったが…)何らかの経験にはなったし、少なくても何もしないで引き篭もっているよりは"何ぼかマシ"である事も判った。
例えば…
もし、何十年ローンを組んで豪邸を建てたとしても火事や地震で崩壊すれば全てパー、後に残るのは、既に存在しないモノへ払い続ける負債と、新しい住宅に対する更なるローンである。四国の野宿では風雨が凌げる空間さえあれば十分に有り難いと痛感することが出来た。これが僕が今後、方丈生活を決心
する大きな理由の一つである。またもしも、高級外車を所有したとしても盗難などが心配では本末転倒のような気がする。四国での何も持たないフットワークの身軽さは、生活上かなり楽であることが判った。
それに四国での薄汚い格好で歩き続けた経験によって外見からはどう判断されても構わないと思えるようになったし、僕にとっては「佐渡フィニッシャー」の称号だけで十分過ぎる栄誉だと自負しているので、それ以上自分を着飾る必要はないとも思えるようにもなった。
あるいはまた、高収入の会社で働けたとしてもストレス過多になるような仕事では生きた心地がしないような気もする。人間、食べることさえ出来れば(それがどんなに質素なものでも)十分に健康で暮らして行けることを、菜食中心にトライアスロンに励んで来た暮らしを通して実感出来た。
その糧を買う金がなければ、畢竟自分で栽培すれば良いだけの話である。
「健康は金では買えない、自分で培っていくもの」
テレビショッピングでの健康食品の宣伝文句や病院に大挙する人々の群れを見る限り、そんな基本的なことを忘れてしまっている人が多いような気がしてならない。
えにぃうぇい…
お遍路から帰宅して既に1ヶ月以上経つ現在でも脚の裏の感覚は麻痺したままなのだが、四国での記憶の方は大分薄れて来た感がある。そろそろこの辺で道中で考え密かに書き溜めていた様々な戯言もこの辺りで封印することにしたい。因みに僕は今山形を離れ、新天地を徘徊中である。実は四国で気付いた事の一つに、「野宿」や「放浪」という一見は誰にも頼らないかに見えるライフスタイルも、実際はかなりの割合でその地域の人々や施設からの支えが前提で成り立っているということがある。そのため今回は別の方法を模索中なのであるが、やはり現実はそう甘くはないらしい。しかし勿論、そう簡単には挫折しないつもりだ。今後も自分の感性を頼りに、最大限の誠意と良心を持って暮らしていけば、これまでのように必ず途は開けると信じて止まない。
それでは次回、サードステップ開始のお知らせを一日も早くアップ出来る日を願いつつ…
0 件のコメント:
コメントを投稿