2022年12月30日金曜日

直感に従う

2009年4月に山形にUターンした。自給自足の生活を目指すのが一番の理由だったが、このまま東京に居ると嫌なことが起こるような気もしたからでもある。案の定その二年後に東日本大震災が起きた。結果的には東京が死ぬことはなかったが、福島の原発次第では…だった。私の直感は間違いなかったと自負している。

その一方で…

Uターンした頃の情熱は次第に消え失せ、あらゆる面で堕落的になった。直感に頼らることはなくなり、外界からの危険信号も全く受け入れることなく、ただ流されるままになっていた。そんな時に起こったのが骨折事故だった。幸いにも命だけは助かったのが救いである(まぁ私を厄介者扱いしている身内からみれば、あっさり死んでくれた方が有難られたのだが…)。

えにぃうぇい…

骨折事故で命だけは救ってくれたのも何かの因縁なのだろう。この与えられた命を誰かのために奉仕したいと思っている。


2022年12月28日水曜日

今さら情報を教科にしても…

世界的に情報化社会と持て囃されていた1970年代、重厚長大産業が主要な日本の政治経済界は情報なるものをゲテモノ扱いしていた。

80年代以降に素人目でも本格的なソフトウェアの時代になっても、日本のお偉方は余裕をかましていた。「日本には任天堂やソニーがいるし大丈夫でしょ…」畢竟そんな感じだった。

そんな日本も、貧すれば鈍すとはよく言ったもので、バブル崩壊以降は何も考えることが出来なくなり、21世紀も20年以上過ぎてようやく編み出したのが「情報」なる教科である。これによって日本がどういうビジョンを抱いているかは判らない。しかしもし、第二のビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのようなカリスマを育もうとしているのだったら無意味だと私は思う。時代は既にその次の次位まで見通されている。情報などというものは寧ろブラックボックス化されるべきだという視点もある。

世界標準からは周回遅れというより三周回位遅れている今の日本に、その遅れを取り戻すのはもはや無理である。今の常識を一足飛びに超えるような全く別の発想でないと過去の栄光は蘇らない。

2022年12月24日土曜日

さよなら楽天モバイルUN-LIMIT Ⅶ

楽天モバイルUN-LIMIT Ⅶ(以下楽天モバイル)を解約した。以下に、¥0運用でなくても、それでも楽天モバイルのメリットを列挙する。

1.キャリアに関係なく一般通話が格段に多い人

楽天LINKを介せば通話料は掛からない。データ消費は3GB/月以内で、且つ仕事の関係などで固定電話や携帯電話に掛ける機会が多い場合はまだ楽天に分がある。

2.自宅や勤め先にWIFI環境がなく、ネット接続は全て楽天モバイルで賄う一人暮らしの人

楽天モバイルは電波さえ普通に届けば光通信などがなくても代替可能。スマホをモバイルルータ代わりにして自宅のパソコン大画面でサブスクネット動画を視聴することも出来る。それで¥3,278/月ポッキリなのは悪くない。

それだけ…

つまりそれ以外の人にとって、楽天モバイルはメリットがない。

例えば私が今回MNP転出先として選んだのは、mineoのマイそくライトプラン。私は一般通話は滅多にしないし、高速大容量のパケットも必要ない。しかしテキストベースの軽いネタを長時間見ることがある。ネットラジオを垂れ流しながら文章を書いたりする。そんな人間に¥660/月で低速使い放題は非常に魅力的である(ただし、三日間で10GB以上使用したり、昼12時~13時はネットは使えなくなる制限はある)。

2022年12月20日火曜日

敵基地攻撃能力は不要

 巷では敵基地攻撃能力は必要、あるいは止むを得ないとの声が大きいが、果たしてそうだろうか。たとえば今のウクライナを鑑みると、彼らは自国領土内での抗戦のみに徹底する傍ら、国連からSNSまで、あらゆる外交手段を講じてロシアの蛮行を批難し、世界中の支持や支援を集めている。しかしもし彼らがロシア本土を攻撃したらどうだろう。戦費が今以上に掛かるのは必至だが、それで被害が今より減るとは私には思えない。そして何より、ウクライナがロシア本土に攻撃した時点で世界の世論からは二国間の紛争とみなされ、積極的な支持や支援は間違いなく減るだろう。
 故に今の日本に必用なのも敵基地攻撃能力ではなく「自分たちの領土は自分たちで死守する」という士気だと思う。「私達からは絶対に攻撃を仕掛けないが、もし私達の領土に一歩でも踏み込んだ時は徹底的に抗戦する」と公言することが最も費用対効果の高い抑止力になるとも思う。つまり社会保障費を切り詰めたり未来の子供たちに借金を負わせてまで国防費を上げる必要は全くない。ましてや戦闘機や長距離弾道弾を某国から言い値で買わされるようなことは絶対にあってはならない。

2022年12月15日木曜日

今を生きる我々の責任は…

※当初は「今を生きる我々(国民)の責任」と訴えた岸ダメ首相だったが、その後「我々というのは政治家」と言葉を濁して有耶無耶となった。しかし本音は明らかに国民に鼓舞する意見だった私は考える。以下はそれに対しての投書。

 岸田首相が今を生きる我々の責任として国防費は増税で賄うべきだと主張した。今後の国防の在り方は国民一人一人が考えるべきだという主旨ならば頷けないことはない。しかしもしそうならば、なぜ企業(法人税)や喫煙者(たばこ税)だけに負担を強いるのだろうか。ましてや震災復興のための税金を転用する案などもってのほかである。町内会費のように国民各々から均等に徴収するのが筋だし、その前提として使途を明瞭に開示する必要がある。しかし政府与党は開示すらせず、ただ単に増税が必要だと訴えているだけである。

ちなみに私は今以上に国防費を上げる必要はないと考える。外交に勝る国防はないし、交渉が決裂した後は国連に頼るしかないとも考える。最悪の場合は今のウクライナのようになってしまうかもしれないが、自国領土に侵入してきた外敵だけを駆逐する姿勢は日本の専守防衛の精神とも合致する。

つまり、今を生きる我々の責任は防衛力を増強することではない。ましてや大枚を叩いて米国から言い値でミサイルを購入することではない。後の子孫が恒久平和に暮らせるよう、戦争の火種を作らないことだと私は思うのだが…。

2022年12月14日水曜日