鳩山さんは「3月中に意見を纏める努力をする」と言っただけであって、「纏める」と断定してはいませんでした
(それはあくまでも、その根拠とされる29日付のニュースステーションでの鳩山さんの会見だけを見た限りですが…)
そして…
その発言に対して、岡田さん達が「首相、それはとても無理ッスょ~(^_^;)」と進言しただけであって、そういう議論は別に民主党に限ったことではなく、自分の意見を忌憚無く主張出来る組織内なら何処でも見受けられる光景です
それを古館さん達は
「こうも与党内での意見にバラつきがあるのは如何なものでしょうか!?」
と糾弾されては…
誰も何も喋れなくなっちゃうような気がします・・・
追伸
一番最後に動詞が来て且つ曖昧にしがちな日本語の性質なのに、他人の言葉尻を捉えて攻撃することは余り大人らしい行為とは思えないのですが…
まぁ、今日は富士山を拝めましたので良しとしませふ
2010年3月30日火曜日
2010年3月26日金曜日
セネカ現代人への手紙
自分自身への嫌悪を引き起こすのは常に何もしないのらくら暮らしである。
私はその日その日が我が最後の日と覚悟して生きている。
哲学は理論的でもあるが実践的でもある。なので私はそれを探求しているのであって、君たちに忠告したり、警告したりするだけで満足する者ではない。
何であれ、欲望によって得たものは全て他人のものであると考えよ。また運命が君のためにしてくれたことも君のものではない。他者から与えられたようなものは直ぐに取り戻されるものなのだから。
精神的に自由になりたいなら、貧乏になるか、貧乏の真似をせよ。
奴隷状態が人間を捉えていることは滅多にない。大抵は人間自らが奴隷状態でいることを掴んで放さないのだ。
荷物を背負ったまま泳いで助かる可能性は限りなく低い。
富の軽蔑こそ富へと達する最短の途である。
どんな処に死が待ち受けているか誰にも判らない。ならばこちらから待ち受けるべきである。
人は誰でも真に自分のもの~それは魂とそこから成熟した理性~以外は自慢してはならない。
私は大きくて何の不安もない智慧の大国を知っている。そこでは所有物はすべての人のものであるという意味において全てを所有している。
争いは獲物が存在するから起こる。しかしそれを得た者が最後まで幸福だった試しは一度もない。
運命に身を委ねたる者は大いなる魂である。運命には逆う者、世界秩序について悪しく思う者、自分自身でなく世界を改良しようと思う者は墜落した人間である。
私はその日その日が我が最後の日と覚悟して生きている。
哲学は理論的でもあるが実践的でもある。なので私はそれを探求しているのであって、君たちに忠告したり、警告したりするだけで満足する者ではない。
何であれ、欲望によって得たものは全て他人のものであると考えよ。また運命が君のためにしてくれたことも君のものではない。他者から与えられたようなものは直ぐに取り戻されるものなのだから。
精神的に自由になりたいなら、貧乏になるか、貧乏の真似をせよ。
奴隷状態が人間を捉えていることは滅多にない。大抵は人間自らが奴隷状態でいることを掴んで放さないのだ。
荷物を背負ったまま泳いで助かる可能性は限りなく低い。
富の軽蔑こそ富へと達する最短の途である。
どんな処に死が待ち受けているか誰にも判らない。ならばこちらから待ち受けるべきである。
人は誰でも真に自分のもの~それは魂とそこから成熟した理性~以外は自慢してはならない。
私は大きくて何の不安もない智慧の大国を知っている。そこでは所有物はすべての人のものであるという意味において全てを所有している。
争いは獲物が存在するから起こる。しかしそれを得た者が最後まで幸福だった試しは一度もない。
運命に身を委ねたる者は大いなる魂である。運命には逆う者、世界秩序について悪しく思う者、自分自身でなく世界を改良しようと思う者は墜落した人間である。
2010年3月22日月曜日
大人のいない国~鷲田清一・内田樹著
成熟というのは「生き延びる知恵」である。
しかし、これ程までにセーフティーネットが完備された豊かで安全な社会にあっては、もはや生き延びる知恵など全く必要としなくなった。
故に子供のままでも十分に生きていけるようになったので、無理に大人にならなくても良くなったのだと言う。
例えば…
① 直ぐに、責任逃れや犯人探しをしたがるクレーマーやモンスターな人々
② 「自己主張」だけで我を通す余り、誰にも相手にされなくなる「自分探し」の旅人
③ 全ては「金」が解決すると信じて止まない「金」全能主義者
そう言われてみれば、似たような性癖の子供が、昔は(そして多分、今でも…)クラスに一人は存在していたように思う。
しかし、大人と言うのは…
① 社会的に生きていく以上、各人がそのシステムの構成員であることを忘れてはならない。
先ずは「自分だけはその責任から逃れられている」という錯覚から目を覚ますべきだ。
② 「自立」というのは「相互依存」のシステムを上手に利用し、本来"不完全"である自分を補完しながら生きていくことである。
また、「個性」や「適正」というのは他者から認められて形成されるモノであって、自分で決定することは不可能だと気付くべきだ。
③ 「金」だけに限らず権力や名誉など、皆が同じ価値観を持つことは、思想統制された社会で生きていくのと同じ位に危険である。
確かに、或る集団にとって同じ価値観を持つことはその秩序を保つ上では非常に効率的な手段である。
しかし、集団を纏め上げることと集団を成熟させることは異なる事項である。
あらゆる価値観があり、その狭間で葛藤し自分で解決策を見つけてこそ子供は成長するのである。
なるほど…
①について
例えば先日起きたグループホームでの火災事故
マスコミは火災報知器の設置義務違反や夜間スタッフの不足など、設備の欠陥を責めてばかりいたが…
いざ自分自身の親が或る老人ホームに入居していて、その経営者から「今後に備えて夜間のスタッフを増やしたいので、来月からその費用を上乗せしたいのですが…」と打診された時に、私達は快く返事を出来るだろうか…
「もっと施設の方で企業努力をするべき!」なんて言いたくならないだろうか…
誰しもクレーマー的な所見を持ち合わせていると自省する必要がありそうだ。
②について
「おひとりさま」現象などは、「自立」が「孤立」に向う顕著な例だろう。
私も反省しているが、最近の私達は誰もが自分自身を可愛がり過ぎているような気がする。
今こそ見つめ直す時期なのかもしれない。
③について
例えばチョッと前までは、親戚や近所に生産的な活動をしていないけれども何となく憎めない「変なオジさん」が一人は居たモノだ。
ところが今では学校も親も「金を稼いて偉くなること」だけに全精力を注いでいる。
変なオジさんは、その地域で見守って行く愛すべき対象ではなく、「あんな大人にならないように」という反面教師としてしか存在価値は無くなってしまった。
もしも、そのオジさんが崇高な哲学を持っていたとしても、今の子供にはそんなモノは全く必要が無い(と、両親も学校も国もそう考えている)。
必要なのは、工業製品を一つでも多く輸出する能力であり、株価チャートを見抜く眼力であり、つまり何が何でも他よりも勝ることである。
最近露呈している社会の様々な問題は、そういった画一化された価値観を様々な方向に開放させるだけでもそれなりに解決の方向に向うと私は思っている。
少なくても「少子化担当大臣」をリーダーに対策を練り上げていく「学級委員会」的な発想よりは何ぼかマシなのではないだろうか!?
そして最後に内田氏は…
国民全員を斉一的に大人に仕立て上げるシステムを作るのではなく(それこそ子供の発想だから却下すべし)、現在も好調に機能しているように見えるこの「全国民の規格化・標準化」システムに適度な「ノイズ」を発生させ、局地的な「無秩序」を生み出す必要があると訴えている。
微力ながら、今後は私もノイズを出し続けて行きたいと思った次第である。
※私は社会適応能力がない分、その方面に関しては平均以上だと自負しておりマス…/(^^ゞ
しかし、これ程までにセーフティーネットが完備された豊かで安全な社会にあっては、もはや生き延びる知恵など全く必要としなくなった。
故に子供のままでも十分に生きていけるようになったので、無理に大人にならなくても良くなったのだと言う。
例えば…
① 直ぐに、責任逃れや犯人探しをしたがるクレーマーやモンスターな人々
② 「自己主張」だけで我を通す余り、誰にも相手にされなくなる「自分探し」の旅人
③ 全ては「金」が解決すると信じて止まない「金」全能主義者
そう言われてみれば、似たような性癖の子供が、昔は(そして多分、今でも…)クラスに一人は存在していたように思う。
しかし、大人と言うのは…
① 社会的に生きていく以上、各人がそのシステムの構成員であることを忘れてはならない。
先ずは「自分だけはその責任から逃れられている」という錯覚から目を覚ますべきだ。
② 「自立」というのは「相互依存」のシステムを上手に利用し、本来"不完全"である自分を補完しながら生きていくことである。
また、「個性」や「適正」というのは他者から認められて形成されるモノであって、自分で決定することは不可能だと気付くべきだ。
③ 「金」だけに限らず権力や名誉など、皆が同じ価値観を持つことは、思想統制された社会で生きていくのと同じ位に危険である。
確かに、或る集団にとって同じ価値観を持つことはその秩序を保つ上では非常に効率的な手段である。
しかし、集団を纏め上げることと集団を成熟させることは異なる事項である。
あらゆる価値観があり、その狭間で葛藤し自分で解決策を見つけてこそ子供は成長するのである。
なるほど…
①について
例えば先日起きたグループホームでの火災事故
マスコミは火災報知器の設置義務違反や夜間スタッフの不足など、設備の欠陥を責めてばかりいたが…
いざ自分自身の親が或る老人ホームに入居していて、その経営者から「今後に備えて夜間のスタッフを増やしたいので、来月からその費用を上乗せしたいのですが…」と打診された時に、私達は快く返事を出来るだろうか…
「もっと施設の方で企業努力をするべき!」なんて言いたくならないだろうか…
誰しもクレーマー的な所見を持ち合わせていると自省する必要がありそうだ。
②について
「おひとりさま」現象などは、「自立」が「孤立」に向う顕著な例だろう。
私も反省しているが、最近の私達は誰もが自分自身を可愛がり過ぎているような気がする。
今こそ見つめ直す時期なのかもしれない。
③について
例えばチョッと前までは、親戚や近所に生産的な活動をしていないけれども何となく憎めない「変なオジさん」が一人は居たモノだ。
ところが今では学校も親も「金を稼いて偉くなること」だけに全精力を注いでいる。
変なオジさんは、その地域で見守って行く愛すべき対象ではなく、「あんな大人にならないように」という反面教師としてしか存在価値は無くなってしまった。
もしも、そのオジさんが崇高な哲学を持っていたとしても、今の子供にはそんなモノは全く必要が無い(と、両親も学校も国もそう考えている)。
必要なのは、工業製品を一つでも多く輸出する能力であり、株価チャートを見抜く眼力であり、つまり何が何でも他よりも勝ることである。
最近露呈している社会の様々な問題は、そういった画一化された価値観を様々な方向に開放させるだけでもそれなりに解決の方向に向うと私は思っている。
少なくても「少子化担当大臣」をリーダーに対策を練り上げていく「学級委員会」的な発想よりは何ぼかマシなのではないだろうか!?
そして最後に内田氏は…
国民全員を斉一的に大人に仕立て上げるシステムを作るのではなく(それこそ子供の発想だから却下すべし)、現在も好調に機能しているように見えるこの「全国民の規格化・標準化」システムに適度な「ノイズ」を発生させ、局地的な「無秩序」を生み出す必要があると訴えている。
微力ながら、今後は私もノイズを出し続けて行きたいと思った次第である。
※私は社会適応能力がない分、その方面に関しては平均以上だと自負しておりマス…/(^^ゞ
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