2016年2月8日月曜日

二重投稿の罪と罰

A新聞に投書を投稿したものの、3日たっても何の連絡もなかったので勝手に落選とみなし、その後M新聞に同じ主旨(両者には字数制限の違いがあるので、多少ニュアンスは変えた)の投稿をしたところ候補に挙げてもらった。しかし採用担当者にその旨を正直に伝えたところ、「それは明らかな二重投稿なので、今回の話はなかったことにして欲しい」と強い口調で断られた。

担当者曰く、私の言い訳は結果論に過ぎないとのこと。そしてその口調には私の行為を厳しく追及するニュアンスがにじみ出ていた。
なので、なぜそこまで二重投稿がNGなのかを調べると、それには私が想像する以上に色々な大人の事情があることが判った。また↑の例は必ずしも黒とは言えないが、少なくても紳士的ではない恥ずべき行為らしい。最悪の場合は二度とその業界の公募には参加できなくなるとも…。

それに相手側にしてみれば、著作権云々もさることながら、他所で没になったものを採用するのは気分的にも面白くないだろう。

とにかく、私はそこまでは考えられなかった。

海より深く反省します。
そしてこれを機に、もう二度と投稿はしません(多分)。

ちなみに以下が掲載されるはずの内容なり。
自分で言うのもなんだが、結構うまく出来あがったのでつい売り込みたくなったのがかえって仇となった。人生というものは恐らくそういうものなんだろう…

元々アベノミクスは日本景気を良くする手段の一つだったはずである。しかし最近の内閣や日銀の言動を見ていると、アベノミクスの成功そのものが目的化しているような気がしてならない。
たとえば日銀総裁は今後も物価上昇2%達成のためなら手段は選ばないとまで豪語している。まるで「物価上昇こそが全てを解決する」と言わんばかりだ。物価上昇が少なからず国民生活に影響を与えるにもかかわらずである。またこれは、最初は国を豊かにするはずだったのに、最後には戦争に勝つことだけが目的になってしまった昭和前史とも経緯が似ている。
私にはアベノミクスの正否は判らない。しかしアベノミクスしか生き残る道はないという説が否であることだけは確信している。
道は何本だってあるし時には後戻りする覚悟も必要だ。そしてそれを最終的に判断するのは内閣や日銀総裁ではなく私たち一人ひとりである。一番の愚は自らその選択肢を狭め、全権を委任し、過去の過ちを繰り返すことだと私は思う。







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