2022年5月31日火曜日

大学は稼ぐのが目的ではない

 世界最高水準の研究力をめざす大学を国が大々的に支援する制度ができた。それに対する大学側の意見は様々だが、私はその中で鹿児島大学の「『山』に例えると、研究の裾野を広げるより、頂上を高くするように働く」との指摘が最も言い得て妙だと思った。

 たとえば幼児が砂遊びで砂山を高くしようとする時、最初は頂上に砂を盛り続ければ良いと考えるが、ある高さになると山は全然高くならず、折角盛った砂も裾野にこぼれてしまうことに気付く。そして彼らは山の斜度が重要であったり、表面に水を掛けて崩れにくくすれば良いのではと考えたりする。

 そもそも大学の本来の役割は、国民に対してこのような科学的見地を養う手助けをすることであり、大学が稼ぐことは二の次だと私は考える(長いスパンで見据え、結果的にペイ出来ればそれで十分かと)。それに誰が何処で革新的発明をするかは判らない。ならば国としては、一人でも多くの国民を大学人に育て上げる方がスマートなはずだが、彼らは世界に冠たる大学がいくつか出来ればそれで良いらしい。

まぁ幼少時から英才教育で厚遇され、野良猫の糞が混じる公園の砂場で遊んだことのない人々ならそういう発想になっても不思議ではない。しかしそんな人々が砂山を少しでも高くしようと躍起になるからこのような愚策が法制化され、折角の税金が無駄に浪費され、国は益々衰退するのかもしれない。

2022年5月27日金曜日

パラアスリートの存在を身近に感じ…

パラトライアスロンのナショナルチームが、私の勤務するスイミングスクールで臨時練習をしている。
なぜ「山形の片田舎にナショナルチーム!?」と思われるかもしれない。実は寒河江市にはグリバー寒河江という国内屈指の多目的水面広場があり、ナショナルチームは例年そこでオープンウォーターの合宿をしているのだが今年はその施設が故障のため使えない。そこで仕方なしにその施設から最も近い、我がスイミングスクールのプールを利用することになったのである。

閑話休題…

この片田舎で世界クラスのアスリートの泳ぐ姿を間近に見られることは滅多にないので、出勤夕方だが正午に出勤し見学した。メニューとしてはインターバルをイージー&ハードを混ぜつつ延々と泳ぎ続けるような感じだった。ただよく考えれば、元々片腕がなかったり両足が麻痺してる方々なので、スイム自体がドリルのようなものである。

ちなみに私も昔はトライアスリートの端くれであり、一昨年からは下肢5級の障害者であるが、未だにその現実を受け止められていない。骨折をする前は毎日何らかの運動はしていたが、怪我をしてからはレッスン前に軽く泳いだり、通勤で自転車を漕ぐくらいしかしなくなった。やろうと思えばスイムは毎日でも出来るし、仕事場のマシンを借りればカーディオマシンや筋トレも出来るのにも関わらずである。

選手の練習後、私の心情(障害を受け入れられない現実)を宇田秀生選手に軽めに吐露してみたが、当然ながら明確な答えはなされなかった。畢竟それは自分自心で探すしかないのだろうと思う。

※以下、草稿中…