2017年6月21日水曜日

ママチャリと日本人

※以下は、しばらくの間ママチャリを利用せざるを得ない状況となり、「なぜこんなに乗りずらいモノが日本では普通に普及しているのか!?」と漕ぎずらいペダルを回しながら考えたことなり。

自転車に限らず、道具というものは効率良く使用するのが普通である。
しかし日本のママチャリに関してはそのセオリーが全く当て嵌まらない。
※若者を中心に、サドルを極端に低くしたり、ハンドルを三時の方向に傾けたりする傾向は、また別の意図があると思われるので今回は触れない。
多くの人々は日々窮屈な姿勢でペダルを回し、無駄な疲労とストレスを貯めこんでいる。
恐らくその根拠は「停車時に両足が地面に付くようにサドル高を設定する」という御上からの"お触れ"が幼少の頃から叩き込まれているからだと思う(私もロードバイクに乗る前はそう洗脳されていた)が、よく考えればこれほどナンセンスな話もない。
なぜなら、脚力のない幼児や老人はサドルをどんなに低くしても転ぶときは転ぶし、もし停車時の安定性を重視するなら、サドルからお尻をズラせば済むからだ。
そして、停車時の安全のためだけに(それも代替可能な他の手段があるのに)、走行時の効率性を犠牲にしているのである。

にも関わらず…

この国には"御上の御触れ"は絶対、或いは「逆らっても詮無い…」と思考停止する臣民が少なからず存在する。
「それはおかしいだろ!?」という人間は軽く鼻であしらわれるか、良くても「場の空気を読めよ」と諭されるだけ。
つまりある"御触れ"が一度明文化されてしまうと、それがどんなに頓珍漢な話でも世間一般の道理となってしまうのである。

これが日本のママチャリ文化に限った話ならまだ良い。
コチラは周囲への説得は諦め、誰にも文句を言わず、勝手にロードバイクを乗っていれば済む。
しかし現実には、社会の様々な分野で意味不明で非効率な"道理"が作られ、益々息苦しく動きズライ社会になってきている。
御上の命令通りヘルメットを被りゆっくり走るママチャリ列を、ロードバイクで追い越すと、必ず後ろ指を差してくる人間が現れるのだ(しかも身に覚えのない冤罪までくっ付けられて…)。

シンゾー君とゆかいな仲間たちもその辺の極意を知り尽くしているので、今のうちに自分たちに都合の良い道理を作り上げ、且つ臣民同士が相互監視するような社会を作ろうとしている。
ママチャリのサドルを一番低くし、且つハンドルを素っ頓狂な角度にし、それで自分らしさをアピールしようする若者諸君も、その辺を特に気付いて欲しい。

追伸
このままだと、君たちに対して「ママチャリで敵の装甲車に突っ込め!」なんて御触れがきっとある(と言うか、過去に実際にあった)。
いや、ほんと、マジだゾ

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