2020年12月28日月曜日

「クララの意気地なし!」

膝の痛みは最高潮で、これまでは曲げると痛む程度だったのが、何もしないでも痛むようになった。
そしてこの日(2020年12月28日)は外来での初めてのリハビリだったので理学療法士の先生に訊ねてみたが、この時期は色んな要素が絡み合うので理由は不明とのこと。
また膝は入院時よりも曲がりにくくなっていたが「退院して間もなくは日常生活のおかげで筋肉が付くので入院時より曲がらなくなる」とのこと。
ところが実際の私は、この一週間リハビリらしきことは何もしなかったので、この不調は益々私を不安にさせた…。

さらには、今日から右脚に全荷重を掛けても良いとのことだったので、平行棒を頼りに二足歩行に挑戦したのだが…

絶対に無理…

そんな時にはふと、表題のような叫びが聞こえてくるはず…だったが、今回はこなかった。
それどころか、肉体的な痛みと精神的な不安、更には母からも心無いことを言われて傷付き、正月の間もずっと不貞腐れて布団に潜り込んでいた。



今まで生きてきた中で一番ひどい正月だった。







2020年12月26日土曜日

走れなくなって初めて分かる走れることの有難さ

今回の骨折事故が起こる直前のそのまた直前まで、私は自分の脚はかなり頑丈な方だと自負していた。

特に私がトライアスロンを始めた2008年から佐渡A初挑戦の2009年にかけては、距離だけで言えばプロ並みだった(負荷は全然だが…)。
ピーク時はスイム30km、バイク1,000km、ラン300kmを月間目標距離とし、実際それに近い形でクリアしていた(通勤バイクなども含めれば達成できた月も何度かあった)。
当時はこれだけ走っても膝痛などは殆ど感じなかったし、ジョグノートなどでも周囲からチヤホヤされ益々天狗になっていた。
※その当時ジョグノートの中に3種目の距離数を競い合うコーナーがあって、そこでは常に上位をキープしていた。もしもご記憶の方がいたら非常に光栄です(ペンネームは「イトーちゃん」または「ベジ太郎」)。

そして幸か不幸か、佐渡A初挑戦は、あまりにも短期間(1年9ヶ月)、且つ予想以上の好成績(12時間13分50秒)で完走できたためにその自負心は最高潮に達し、むしろそれ故にトライアスロンへの情熱は一気に冷めたのだが、その後も四国の歩きお遍路を28日間で踏破したりして、その自惚れが減退することはなかった。

そんな天狗状態の中での今回のキノコ狩りだった。
佐渡A初完走の時からは格段に足腰も反射神経も衰えている自覚が全くなかった。
今回の道案内役の翁は狩猟歴数十年の超ベテランで、もう一人の知人も狩猟歴は3年位ながらシーズン中は毎日のように山に通うつわものだったが、私には二人にはない健脚があるとその日も自惚れていた。
実際はそんな彼らに狩猟歴3回の私がついていけるはずがないし、最低でも謙虚な気持ちで慎重についていくべきだった(と後悔したのは、ヘリの救援を待っている時だったが…)。
※それにあの日は、日常生活の中での色々な気の迷いや、帰宅してからやるべきことが多々あり、あまりストレスの感じることのない自分にしては頭の中が結構混乱していたせいもあった…。

えにぃうぇい

何度も言うが、こうなったら仕方がないという心境で今は何とか持ち堪えている。
毎晩必ず就寝中に痛みでうなされるが、それも「痛みはまだ生きていることの証である(←どっかの映画のセリフ)」と言い聞かせている。
ぶっちゃけ、ぶつけたのが膝ではなく頭だったら死んでいたかもしれないので、それだけでもラッキーである。

それに、この事故がなかったら糖尿病を克服しようとは絶対思わなかった(多分今でも毎日酒を呑んでいた)。
この事故がなくても糖尿病による合併症で脚を切断していたかもしれないし、失明していたかもしれないし、それは何某の言う通り「神のみぞ知る」だ(忖度大臣や御用学者にそう軽々と「神」などと言って欲しくはないが…)
とにかくデブをリードする男になっていたのは間違いない。

こんな感じで戯言を書いていると、ふと気障な文句を思いついたので下に記す。

今日走らない理由は無数に思いつくが、明日走れなくなる原因はそう多くない。

「今日は寒くて…」とか「二日酔いだし…」とか、私も佐渡A初完走後はいろんな理由で走るのを止めたことが無数にある。
しかし、こうして走れなくなってからは、走れる(と言うか普通に歩ける)有難さを骨身(←特に右大腿骨)に染み入るくらいに痛感している。

もし皆さんの中にもそんな悪魔の囁きが聞こえてきた時には、こんな男がいることを頭の片隅に思い出して頂けたら非常に光栄である。

Happy holidays and new year!

2020年12月25日金曜日

Vostro15(3568,Cerelonモデル)のHD交換

2018年の誕生日に¥24,818で買ったモノだが、よりによって入院中にHDが逝ってしまい…。
このPCは値段が値段だけにHDやメモリ交換を前提にしておらず、内臓に辿り着くまでに30本位のビスを外したりする必要がある。
御開帳


今年は骨折でかなりの出費がかさみ、且つ賃金収入も全てキャンセルになったので節約できるところは節約しなければならず、代わりの脳みそは↓になった。

スピードテストは↓の通りで、手術も成功し、結果オーライな買い物となった。
特に書き込みは宣伝以上の効果を発揮している。


追伸
「私の右脚もこれくらい簡単に取り換えることができたら」と、今現在も膝をさすりながらこの日記を書いている。

2020年12月24日木曜日

退院して分る病院の有難さ

入院生活最後の2週間は看護師さんの手を借りることは殆どなかった。
血糖値も自分で計っていたし、その値を自分でナースセンターまで報告しに行くことさえあった。
なので、退院しても困ることは左程ないと高をくくっていたのだが…
入院時は↑のような余裕もあった…


いざ退院してみて病院が一番有難く感じたのはトイレの隅まで暖かい住環境だった。
ちなみに私は入院中は半袖半ズボンで過ごした時もある位の暑がりなのだが、自宅に戻ってからはフリースを2枚重ね着をしたり、就寝中はミイラ型シェラフを持ち出すなど創意工夫している。
また入院中は起床後に電気ケトルで沸かしたコーヒーを飲みながらマッタリと超音波治療をしていたが、今ではようやく部屋中が暖まりだした昼頃に泣く泣くズボンを下げているような状況である。
さらには自分でメニューやご飯の量を選べない不自由さを感じていた食事も、母や義姉に頼らざるをえない気まずさと窮屈さのため、違った意味で不自由さを感じている。

映画「ショーシャンクの空」で、出所後の生活に馴染めず、寧ろ刑務所の方が居心地が良いと感じたレッド(モーガン・フリーマン)の気持ちがちょっとだけ理解できた。

追伸
退院後の一番の念願だった猫との暮らしだが、さすがに2ヶ月以上も疎遠だと完全には慣れてくれず、たとえば折角ソファーで隣に寝そべっていても、私が松葉杖を持ち出そうとしただけで即座に隣の部屋に逃げ去ってしまうような状態なり。
せめてもの救いは、就寝中は一緒に寝て湯たんぽ代わりになってくれることかな…。

2020年12月23日水曜日

楽天モバイルの神対応?

私の今の自宅は散在集落であり半径約100m以内に隣家はない。
なので母の話によると、電気などの公共インフラは町の中でも一番最後の方だったらしい。

ところが、楽天モバイルのサービスエリア地図を見ると、私の自宅の周りだけが「2021年2月末」の楽天回線拡大予定エリアに入っている。
ちなみに町の中心部は「2021年春以降」と後回しになっている。

私は自他共に認めるケチ男で、楽天カードと楽天銀行は持っているものの、買い物はあまりしないし預金残高も雀の涙だ。
ただ人口7千人位の過疎な町なので、楽天モバイルを所有しているのは恐らく数人(多くても数十人?)だろう。
故にもしそれだけの理由で、私の自宅近くにアンテナを優先して建ててくれたとしたら、それはそれは神対応と言わざるをえない。
まぁ単なる偶然かもしれないし、実際はアンテナさえ建ててくれないかもしれないけれど…


2020年12月22日火曜日

N-FORCE SP260R

これまでGentos製品を使用していたが、電池ボックスの爪部分の破損と断線で数年ごとに買い替えさせられたので、コチラをお試し購入。
使い勝手などは後日…



2020年12月21日月曜日

退院

本日(2020年12月21日)、冬至、大安の日に退院するはこびとなった。

偶然月曜日が手術後○週間後の基準日であり、且つ主治医の担当日でもあっただけで特別良いお日柄を選んだわけではないが、「これ以上太陽は傾かない」という意味では希望が持てる気がする。

ただ一番最初に申し上げた通り、正常な骨格に治る可能性は未知だ(敢えて少ないとは言わない。希望だけは捨てないし、治らないなら治らないなりの形で走るつもりでいる)。

現状、右膝は50度(押してもらって70度)までしか曲がらずリハビリ用のエアロバイクにすら乗れない。
と言うかまだ全荷重は掛けられない状態(全荷重は来週から)なので、折角だから本格的なリハビリは来年からと考え、今年いっぱいはマッタリしようと思う。

それに、私の目標は60歳(約10年後)でのロングディスタンス完走であり、それ以上は望むつもりもないし、まぁ望める状態でもないのだから...。




右ステップのない車椅子