2020年12月26日土曜日

走れなくなって初めて分かる走れることの有難さ

今回の骨折事故が起こる直前のそのまた直前まで、私は自分の脚はかなり頑丈な方だと自負していた。

特に私がトライアスロンを始めた2008年から佐渡A初挑戦の2009年にかけては、距離だけで言えばプロ並みだった(負荷は全然だが…)。
ピーク時はスイム30km、バイク1,000km、ラン300kmを月間目標距離とし、実際それに近い形でクリアしていた(通勤バイクなども含めれば達成できた月も何度かあった)。
当時はこれだけ走っても膝痛などは殆ど感じなかったし、ジョグノートなどでも周囲からチヤホヤされ益々天狗になっていた。
※その当時ジョグノートの中に3種目の距離数を競い合うコーナーがあって、そこでは常に上位をキープしていた。もしもご記憶の方がいたら非常に光栄です(ペンネームは「イトーちゃん」または「ベジ太郎」)。

そして幸か不幸か、佐渡A初挑戦は、あまりにも短期間(1年9ヶ月)、且つ予想以上の好成績(12時間13分50秒)で完走できたためにその自負心は最高潮に達し、むしろそれ故にトライアスロンへの情熱は一気に冷めたのだが、その後も四国の歩きお遍路を28日間で踏破したりして、その自惚れが減退することはなかった。

そんな天狗状態の中での今回のキノコ狩りだった。
佐渡A初完走の時からは格段に足腰も反射神経も衰えている自覚が全くなかった。
今回の道案内役の翁は狩猟歴数十年の超ベテランで、もう一人の知人も狩猟歴は3年位ながらシーズン中は毎日のように山に通うつわものだったが、私には二人にはない健脚があるとその日も自惚れていた。
実際はそんな彼らに狩猟歴3回の私がついていけるはずがないし、最低でも謙虚な気持ちで慎重についていくべきだった(と後悔したのは、ヘリの救援を待っている時だったが…)。
※それにあの日は、日常生活の中での色々な気の迷いや、帰宅してからやるべきことが多々あり、あまりストレスの感じることのない自分にしては頭の中が結構混乱していたせいもあった…。

えにぃうぇい

何度も言うが、こうなったら仕方がないという心境で今は何とか持ち堪えている。
毎晩必ず就寝中に痛みでうなされるが、それも「痛みはまだ生きていることの証である(←どっかの映画のセリフ)」と言い聞かせている。
ぶっちゃけ、ぶつけたのが膝ではなく頭だったら死んでいたかもしれないので、それだけでもラッキーである。

それに、この事故がなかったら糖尿病を克服しようとは絶対思わなかった(多分今でも毎日酒を呑んでいた)。
この事故がなくても糖尿病による合併症で脚を切断していたかもしれないし、失明していたかもしれないし、それは何某の言う通り「神のみぞ知る」だ(忖度大臣や御用学者にそう軽々と「神」などと言って欲しくはないが…)
とにかくデブをリードする男になっていたのは間違いない。

こんな感じで戯言を書いていると、ふと気障な文句を思いついたので下に記す。

今日走らない理由は無数に思いつくが、明日走れなくなる原因はそう多くない。

「今日は寒くて…」とか「二日酔いだし…」とか、私も佐渡A初完走後はいろんな理由で走るのを止めたことが無数にある。
しかし、こうして走れなくなってからは、走れる(と言うか普通に歩ける)有難さを骨身(←特に右大腿骨)に染み入るくらいに痛感している。

もし皆さんの中にもそんな悪魔の囁きが聞こえてきた時には、こんな男がいることを頭の片隅に思い出して頂けたら非常に光栄である。

Happy holidays and new year!

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