2011年12月20日火曜日

勝手な想像

東欧の国々が次々と民主化され、中国にもその波が押し寄せて来た時でさえ、「あの国だけは余程のことがない限り解放されることはないだろう」と若造ながら思っていた。
何故なら、あの頑固さは米英中と戦争をしていた時の大日本帝国に似ているからである。
辺境な地で、且つ偏狭な考えの強い二つの民族…
日本の場合は徹底的に叩かれ、或いはロシアではなくアメリカに叩かれることを自ずから望み、その願いが叶ったかのよう…

その一方で半島のかの国は…



将軍さまの訃報に泣き崩れる市民を対岸からあざ笑うことが出来る人は、昔日本で「贅沢は敵だ」などという運動にも率先して参加出来る人なのかもしれない。
何故なら、そういう人こそ、いざ戦争(あるいは独裁体制)が終わると自分が一番の被害者だったような言い訳をするからである。

丁度「母べぇ」を観直していた時だったので、そんなことを確信した次第。

そう言えば、唯単純に「東電が悪い」というのも、どこか似た感覚のような気もする。
(事故以前の)東電からの様々な恩恵を期待し実際に享受した人ほど、東電をなじる声は大きいような…

「将軍さま(東電)への極端なまでの信頼が洗脳となり、結局はその裏切り行為に絶望を見せ付けられ絶望する」流れだけ見れば、日本と北朝鮮はそんなに大差はないのかもしれない。

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