2014年1月8日水曜日

「公共」なる教科とは…

生徒に対し、安倍ちゃんたちの都合の良い人間になって貰いたいがためのモノである。

一生懸命に働き(納税もしっかりとネ)、社会秩序を遵守(警察力に余計な出費はしたくないし、おかしな思想にハマってはいけませんょ)、選挙には必ず一票を投じ(あとは俺たち政治のプロに任せとけば良い)…、みたいなことを教えるモノらしい(推察)

しかしこのような教科が出来る、もっと怖い理由は…

私のような社会の不適合者を更に侮蔑の目で観るような風潮が出来ることである。
社会の模範となる像が理想化されればされるほど、言外ではそれにそぐわない人物を排除する傾向になる。

働かないアリにも十分にその存在意義がある。
しかし恐らく「公共」は、そういったモノは絶対に許容しないだろう。
そして全体主義的世界観がどんどん増長するのである。

私はそんな未来がくるかもしれないことを本気で危惧している。

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