3日付け朝日新聞「隣に保育所、迷惑ですか? 騒音や事故懸念で建設難航」の記事を読んで絶句した。
皮肉なのは、園に反対していた住民も、餅つき大会などに招待されたりするうちに苦情が消えていったこと。
この町内会には住民が集まる広場がなく、この餅つき大会が唯一の交流の場だったかららしい。
学生アパートで隣が誰か判らない時は、鼻をかむ音さえ気になった。
しかし何度か挨拶をして、ましてや同郷だったりすると、麻雀をされても全然気にならない。
人間なんて、そういうものなのに…
※以下は投稿文
6月3付本紙「隣に保育所、迷惑ですか?騒音や事故懸念で建設難航」の記事を読み絶句しました。確かに保護者が送迎する車への懸念は理解できます。しかし園児の声を騒音と捉えたり、給食の匂いにまで苦情を言うのは利己的過ぎます。そしてこの問題に限らず、そんな今の風潮こそ社会全体を更に暮らしにくくしているとも思うのです。近隣の方々に「平穏な生活を過ごす」権利は当然ありますが、それなら園児達にも何時でも自由に楽器演奏や遊べる権利があるはずです。つきなみですが子供は(国民にとっても)宝です。そして子供は遊ぶのが仕事です。きっと多くの皆さんも幼少の頃はそのように厚遇され、好きなだけ遊んだはずです。でも今の子供はそうでない、そんな必要はないと仰りたいのでしょうか。もしそうならば国がどんなに少子化対策をしても効果はないでしょう。少なくても私は子供を授かりたいとは思いません。先ずはこれを国民全体の問題として捉え、そしてこの記事でも訴えていたように、住民皆がお互い様意識と譲り合いの精神を持ち合えば、その街は誰にとっても住みやすくなると私は確信しています。
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