2016年4月1日金曜日

少女監禁事件について

少女監禁事件に絡んで公衆電話の重要性が見直されている。しかし少女が助けを求めた相手が、すぐそばにいた街の人々ではなく、それより手間も時間も掛かる公衆電話だった点の方を問題視すべきではないだろうか。

少女がなぜ公衆電話で助けを求めたのかは私には判らない。ただ、街の人々に助けを求めなかった理由は私にも判るような気がする。

街の人々の多くはスマホやそれで聴く音楽に夢中で、周囲の状況など気にもしない。そうでなくても常に忙しそうに振る舞い、他者を思い遣る余裕など殆どないように見える。これでは助けを乞うどころか、気軽に声をかけることさえ難しい。

もし仮に少女もそんな現実に絶望し、誰かに助けを求めるのは無謀だと考えるようになったのだとしたら、この事件の責任は私たちにもある。

私たちはとかく、このような事件が起きると必ず自分たちとは異なる次元の話として片付けたがる。少なくても自分たちに非があるとは思いもしない。

しかし、上記のように社会に閉塞感をもたらしたのは紛れもなく私たち自身である。このような犯罪者を野放しにしたのもその結果に過ぎない。


私たちはまずは何より、その現実を直視すべきではないだろうか。








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