2022年12月28日水曜日

今さら情報を教科にしても…

世界的に情報化社会と持て囃されていた1970年代、重厚長大産業が主要な日本の政治経済界は情報なるものをゲテモノ扱いしていた。

80年代以降に素人目でも本格的なソフトウェアの時代になっても、日本のお偉方は余裕をかましていた。「日本には任天堂やソニーがいるし大丈夫でしょ…」畢竟そんな感じだった。

そんな日本も、貧すれば鈍すとはよく言ったもので、バブル崩壊以降は何も考えることが出来なくなり、21世紀も20年以上過ぎてようやく編み出したのが「情報」なる教科である。これによって日本がどういうビジョンを抱いているかは判らない。しかしもし、第二のビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのようなカリスマを育もうとしているのだったら無意味だと私は思う。時代は既にその次の次位まで見通されている。情報などというものは寧ろブラックボックス化されるべきだという視点もある。

世界標準からは周回遅れというより三周回位遅れている今の日本に、その遅れを取り戻すのはもはや無理である。今の常識を一足飛びに超えるような全く別の発想でないと過去の栄光は蘇らない。

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