2014年3月15日土曜日

ロードバイクを解剖する

はじめてのクランケとして槍玉にあがったのはコチラ→
(※流石にサーベロやピナレロを手術する勇気はまだない…)
シマノ600ベースのアートスポーツオリジナル。1998年頃におよそ10万円で購入。
フレームはアルミ軸のカーボン巻き巻きフレーム。
これまでノーメンテナンスでも故障もなく動いてくれたし、これからも雨の日通勤などで活躍して欲しいので是非再生手術には成功したい。

で、先ずは解剖実験…

当初、バラすのは簡単だろう(問題なのは組み立て直す方)と思っていたが、BBの右ワンだけではどうしても外れない…orz
結局鉄ノコで切れ目を入れ、そこからポンチで叩き破壊する。(BBは初めから交換予定なので惜しくはない)

受け側にも致命的な傷を作ることはなかった(と思いたいです)


一応分解出来る(そう)な所まで分解完了。

分解して初めてブレーキキャリパーやディレイラーなどの動きが判り、とても良い勉強になった。

また改めて、ロードバイクには必要最小限のモノしかないことが判り素直に感動する。

シンプル イズ ベストなり。

また今回はハブやノーマルステムのベアリング部分も分解しグリスアップしてみた。

最初は玉押し作業も熟練技が必要かと思っていたが、何度か締めたり緩めたりしている内に「何となく、この辺で良いのかなぁ…」という感覚がわかった。(まぁ今後、整備不良が原因で大事故になったりしなければの話だが…)


ちなみに…

ステムのリテーナーベアリングの向きが判らなくなったので、ネットで調べると写真→のようにとの説明あり。

これでは素人が見ても???である。
念のためグーグル閣下で調べてみると、同じような矛盾を感じた方がいらっしゃり→とは逆にしたとのことなので私も自分の感覚に従って組み直した。

これでもしもダウンヒルの途中でステムが折れて違う世界まで飛び立ったとしても自己責任なのであ~る。

南無大師遍照金剛

2014年3月13日木曜日

ロードバイクのメンテナンス台の自作



日頃お世話になっているタケスポさんの作業台を参考に、敢えて自転車が前傾するようにしたのが特徴。

この方がフロント&リアのディレイラーとSTIレバーのレベル差が近くなり、ディレイラーの調整作業がし易くなるらしい。
(なるほどザWORLD!)

土台はその辺に落ちている端材なので、掛かった費用はフロントフォーク固定のためのシャフト受けとして、ずっと以前にホームセンターで捨て売りしていた1ヶ¥10の手すり受け2ヶのみ。
ちなみにシャフトは姪っ子の使い古した幼児自転車のシャフト。クイックリリース(?)は同じ幼児車のサドル固定レバー。

自分で言うのもなんだが、ブリコラージュなホイド的手法なり。
遠征先まで持ち運びなどは出来ないが、その分どっしりしているし、何よりコストが¥20の自慢作。

これで、これまでは殆ど放置プレイで油と泥まみれだった愛車達をお立ち台に上げキレイキレイにしてあげられそうな予感がする。(希望的予測)

2014年シーズンイン!

今の寒波が最期だと感じ、活動再開することに。

因みに今の身体状態は…
☆追い風参考記録で体重は10kg増(身長168cmで体重68kg)
☆キロ6分ですら走れない(走ろうとすると心拍数が150を超える)
☆スイムは昨年11月から一度も泳いでない。(4月から再開予定)

「さ~て、来週のサザエさんは?」という感じで、9月の佐渡Aまでどこまで復活出来るか実験開始である。

追伸
というか、その前に4月の佐渡トキマラソンまでにフルを完走出来るか否かすら???なのだが…

船長は最後に船を降りる

しかし今の宰相は以前、乗員乗客より先に逃げた経歴がある。
ここであらかじめ断っておくが、私は先に逃げだことを責めたいのではない(人間なら誰でも、そういうことはある)。
そんな過去など全くなかったかのように、「責任者は私ダ!」などと振る舞う、今の厚顔振りがどうしても許せないのである。

えにぃうぇい…

まぁそんな船長を咎めることなく、「もう一度船長になってくれ」と頼んだ私たちの方にも、その「責任」はあるとは思う…


2014年3月12日水曜日

(投稿)3.11を単なる記念日にはしない…

 今年の追悼式典は人々が集い易くする配慮で先週末にする自治体もあった。3年という月日は多分そういうものなのだろう。特に過去の悲しみを乗り越え、前を向いて歩いて行かねばならない被災者にとっては、そういう措置は必要なのかもしれない。
 
ただし、その日に大きな被害に逢っていない私達各々にとっては、3月11日は忘れてはならない重要な日だと思う。
「今、私達に出来ること」は携帯電話をスマホに代えることなのだろうか。憲法改正あるいは解釈変更して戦争を出来るようにすることなのだろうか。景気回復を最優先してそのためには原発も止む無しとすることなのだろうか。

多分どれも違うと私は思う。それでは余りにも過去の震災や戦争で犠牲になった人々が浮かばれない。

3.11は、私達一人ひとりがその答えを真剣に考える、その契機として存在すべきではないだろうか。単なる追悼記念日として存在するだけなら、余り意味はないと私は思う。

(2014/03/11朝日投稿→没)

冷静に現実を見据えれば…

我ながら結構イケると思って朝日新聞に投稿したのだが、結局没となったので以下に毒抜きしていない素ネタを披瀝する。
※赤字が毒抜きしていない部分

最近「現実を見据えて云々」の話をよく聴く。しかしもし日本が攻撃されたとして、その相手国の本土にまで反撃すれば世界の世論からは二国間の戦争とみなされ積極的に支援してくれる国はそう多くないと私は思う。
※満員電車内のイザコザに加担する人はまずいない。アメリカだけは同盟国として加担してくれるだろうが、その中枢には「今こそ特需!」と考える人がいるかもしれないし、場合によっては「戦争が長引けば更に儲けられるかも…」と画策する人までいるかもしれない。日本が朝鮮戦争でそう考えたように
 
その一方で、応戦はあくまでも専守防衛に留める代わりに、国連からSNSまであらゆる手段で世界中に助けを求める策を取ったらどうだろう。「日本は何と潔いのか」とか「非戦を誓う国へ何たる暴挙」などと世論は完全に日本の味方となってくれると私は思う。
 ※facebookやtwitterの圧力によって、自国の軍を派遣せざるを得ない状況だって起こり得ると私は思う。

つまり冷静に現実を見据えれば、軍事費を増強し国権を誇示するよりも、諸外国との対話を重視し平和外交を展開した方が賢明なのは明らかだ。故に在日米軍には撤収して貰い、自衛隊は外敵侵入や天災など有事の際の機関として再編成。これで現在は解釈が曖昧な憲法9条も名実共に合致するので、そこで改めて世界に平和と不戦の宣誓をする。これでも攻め入るような国は、日本が武力で迎撃するまでもなく即刻世界から抹殺されるだろう。

上記が理想であり現実はそう甘くないのは私にも判る。しかし今の私達は現実を見据えているようで実際は強い潮流に流されているだけのような気もする。
潮の流れに身を任せるのは頗る気持ちが良い。例えその行き着く先が深い滝壺であったとしても…。
だからどんなに「非国民」とか「臆病者」と罵らようとも、もし貴方がその方向が危険だと察知したなら即刻向きを変えた方が宜しい。真の勇気とはそういうモノだと私は考える。

★take2

もし日本が攻撃されたとして、その相手国にまでミサイル攻撃などすれば、世界の世論からは普通の戦争とみなされ積極的に支援する国はそう多くないと私は思う(満員電車内のイザコザに加担する人はまずいない)。
 その一方で、迎撃は最低限に留める代わりに世界中に助けを求める策を取ったらどうだろう。「日本は何と潔いのか」とか「非戦を誓う国へ何たる暴挙」などと、世論は完全に日本の味方となってくれるだろう。 
 つまり冷静に現実を見据えれば、軍備を増強し国の主権を主張するより、諸外国との対話を重視し平和国家をアピールした方が得策だと私は思う。なので在日米軍には撤収して貰い、自衛隊は外敵侵入やテロ、災害など非常事態の際の機関として再編成。これで憲法9条が名実共に合致するので、そこで改めて世界に平和と不戦の宣誓をするのだ。これでも攻め入るような国は即刻世界から抹殺されるだろう。
 右記が単なる理想であり現実はそう甘くないのは私にも判る。しかし現実を見据えているようで実際は現状に合わせようとしている姿勢は正すべきであり、こんなきな臭い今だからこそ、そんな理想を追及するべきだと私は思っている。

★take3
最近「現実を見据えて云々」の話をよく聴く。しかしもし日本が攻撃されたとして、その相手国の本土にまで反撃すれば世界の世論からは二国間の戦争とみなされ積極的に支援してくれる国はそう多くないと私は思う(満員電車内のイザコザに加担する人はまずいない)。その一方で、応戦はあくまでも専守防衛に留める代わりに、国連からSNSまであらゆる手段で世界中に助けを求める策を取ったらどうだろう。「日本は何と潔いのか」とか「非戦を誓う国へ何たる暴挙」などと世論は完全に日本の味方となってくれる筈だ。つまり冷静に現実を見据えれば、軍備を増強し国の主権を誇示するよりも、諸外国との対話を重視し平和国家をアピールした方が得策だと私は思う。なので在日米軍には撤収して貰い、自衛隊は外敵侵入、テロ、天災など有事の際の機関として再編成。これで現在は解釈が曖昧な憲法9条も名実共に合致するので、そこで改めて世界に平和と不戦の宣誓をする。これでも攻め入るような国は即刻世界から抹殺されるだろう。右記が理想であり現実はそう甘くないのは私にも判る。しかし今の私達は現実を見据えているようで実際は強い潮流に流されているだけのようにも思える。こんな"きな臭い"今だからこそ真の理想を追及すべきではないだろうか。

2014年2月20日木曜日

耳の聞こえない人がサングラスで眼を覆ったりはしない…

あくまでも私見ではあるが…

と言うか、それ以前に発音やイントネーションに不都合なところが無い時点で???と気付かなかった私達にも非はある。

感動や奇跡は巷にそうゴロゴロと転がってはいない。
大体は"やらせ"か詐欺、少なくても中に何が入っているか判らない大福のようなモノだと思った方が身のためだ。
農薬や段ボールが入っていてもおかしくない時代なのだから。