今年の追悼式典は人々が集い易くする配慮で先週末にする自治体もあった。3年という月日は多分そういうものなのだろう。特に過去の悲しみを乗り越え、前を向いて歩いて行かねばならない被災者にとっては、そういう措置は必要なのかもしれない。
ただし、その日に大きな被害に逢っていない私達各々にとっては、3月11日は忘れてはならない重要な日だと思う。
「今、私達に出来ること」は携帯電話をスマホに代えることなのだろうか。憲法改正あるいは解釈変更して戦争を出来るようにすることなのだろうか。景気回復を最優先してそのためには原発も止む無しとすることなのだろうか。
多分どれも違うと私は思う。それでは余りにも過去の震災や戦争で犠牲になった人々が浮かばれない。
3.11は、私達一人ひとりがその答えを真剣に考える、その契機として存在すべきではないだろうか。単なる追悼記念日として存在するだけなら、余り意味はないと私は思う。
(2014/03/11朝日投稿→没)
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