2016年11月5日土曜日

目の見えないアスリートの身体論

健常者の視点から観ても、目から鱗的なヒントが散りばめられている。

たとえば…

「目が見えないことで、競争相手の動向やギャラリーの声援に注視することはなくなり、純粋に自分の身体の動きだけに集中することができる」などは禅の精神に通じるようなモノがあり、個人的には非常に得心した。

また自分の身体の動きを俯瞰的に見つめることは(運動に限らず)非常に大事なことだが、特にイメージトレーニングの重要性を理解していない健常者は蔑ろにしていることが多い。これは常に目が見えるからこそ周囲の状況を単なる視覚情報として片付けているからなのかもしれない。

プロ選手の理想的な動きなども、単なるイメージではなく、自分の身体を機械のパーツに見立てるようにして細かくチェックしていくことも必要ではないかとも思うようになった。

また、本書で紹介されている先天的にブラインドだった競泳の木村選手がバタフライの動きを身に付けられたのは練習で疲れ切って限界に達したときだったらしい。つまり限界の時こそ一番効率の良い動きを習得できるという、所謂「火事場の馬鹿力」的な理屈も非常に頷けた。

以上、著者が追及する「身体を手にするとはどういうことなのか」という問いに対する答えを常に念頭に於いて置くことで、目の見える見えないに関係なく私たちはレベルアップしていけるのではないだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿