2021年6月17日木曜日

マルティン・ニーメラーにあやかり…

※以下は先月、全国紙Aに投稿したものの、例のごとく没になった拙文なり。

 彼らが最初復興五輪と称したとき私は声をあげなかった。私は被災者ではなかったから。彼らが女性やボランティアを軽視したとき私は声をあげなかった。私は女性でもボランティアでもなかったから。彼らが看護師の派遣を要請したとき私は声をあげなかった。私は看護師でも患者でもなかったから。

そして彼らが国民の犠牲を強いてでも五輪を強行すると発言したとき…。

 右記は反ナチ運動指導者だったマルティン・ニーメラーの警句をなぞらえたものである。振り返れば右記以外にも、新国立競技場の建設費を巡る杜撰などんぶり勘定や、招致に絡む贈収賄疑惑が発覚したときなど、私たちが声をあげる機会はあった。しかし多くの人は自分には関係ない、或いは声をあげても無駄だとされ現在に至る。

 彼らは当初、開催費用は多く見積もっても八千億円と豪語していた。それが今では軽く三兆円は超えるという。その責任は曖昧なまま、負担だけが私たちに重くのしかかる。それでも自分には関係ないのだろうか。

 また彼らは既に甘い蜜を吸い尽くしているので、本音は五輪がどうなろうと関係ない。今はほとぼりが冷めるのを待ち、大阪万博やカジノ誘致で再び儲けようと企んでいる。それらを阻止することは今なら可能だと私は思うが、それも無駄なのだろうか。

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