2016年10月5日水曜日

(投稿)無責任な有限責任

★take1
今後原発事故が起きた場合は電力会社の責任に上限が設けられる案が浮上しているという記事を読み、私は閉口した。

まず国、経済団体、電力会社などは原発再稼働に積極的だが、私達の多くはできる限り原発以外で発電して欲しいと考えている。

次に発電の手段を何にするか決めるのは電力会社にあり、私たちには何の権利もない。

つまり、彼らは自分たちの一存で原発を再稼働するのに、いざ失敗した時には再稼働に反対した私達にまでそのツケを払わそうとしているのである。

こんな都合の良い話が罷り通って良い訳がない。

ちなみに私は基本原発には反対だが、是が非でも反対という訳ではない。彼らがいかなる場合でも確固たる覚悟と責任を持つというのがまずは最低条件だ。故に上述のような、最初から他の誰かに助けて貰おうという甘い発想では絶対に是認することはできない。


そして逆から言えば、これまでもそんな甘い発想で遣り繰りしてきたからこそ、もんじゅのような施設が野放しにされてきたのだろうし、それに対して何の反論もせず見過ごしてきた私達にもその責任の一端はあると私は思う。


★take2

たとえば、お父さんが会社を辞めて新しい事業を始めたいと家族に相談したとする。恐らく彼の妻や子供は「もし失敗したらどうする」と問いただすだろう。
私は今回の原発事業者の賠償の上限を設けることについては、あまりにも原発事業者の身勝手が許されることにならないだろうか。つまり私たちは、発電の手段を何にするかの選択権はないに等しい。家族会議でお父さんの真意を聞くことさえできない。にも関わらずその事業が失敗した時には私達までその負担を強いられるのである。こんな理不尽な話はあり得ない。
「どうしても事業を起こしたいなら、私達は一切責任をとりませんからネ。もちろん連帯保証はまっぴらよ」ということさえできないのだ。
どうしても原発を再稼働させたいなら、全ての責任はそれを決断した電力事業者が支払うべきである。電気料金や税金から賄われることは一切あってはならない。逆から言えば、それ位の覚悟を持って原発を稼働してもらわないと、責任の擦り合いをしているもんじゅの二の舞になりかねない

★take3

今後原発事故が起きた場合は電力会社の責任に上限が設けられる案が浮上しているという記事を読み、私は閉口した。
まず、私達の多くはできる限り原発以外で発電して欲しいと考えているのに、国、経済団体、電力会社だけは原発再稼働に積極的だ。これは、家族全員が反対しているのに、お父さんだけが新規事業を起こそうとしている状況に等しい。
次に、発電の手段を何にするかの決定権は電力会社にあり、私たちには何の権利もない。これは、お父さんの言うことに家族は全く逆らえない状況に等しい。時代は21世紀なのにである。
やや突き放した言い方だが、それでも原発を再稼働したいならそうされればよろしい。しかしその代わり、もし失敗した時には確固たる覚悟と責任を持って対処して頂きたい。自分の好きなことだけをやって、いざ失敗したら家族や親戚に助けてもらうなどという甘い発想は今直ぐに捨てて頂きたい。そして、日本の中枢にいる方々が何時までもそういう発想だから、責任の所在が曖昧になってしまうということも肝に銘じて頂きたい。


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