2017年8月7日月曜日

(投稿)傷痍軍人

私(昭和44年生まれ)が子供の頃には、プールや海水浴場で身体に大きな縫い痕や火傷痕がある方々を時折目にした。
近所の駄菓子屋には両脚のないおじさんが店番をしていた。
僭越ながら、私はそんな方々を通じて戦争の悲惨さや理不尽さを肌身に感じることができた。

翻って現在を俯瞰する。
前述のような方々を見る機会はない。
もし仮にあるとしても、曖昧なまま敬遠されるだけだろう。
そして戦争は無味無臭な昔話として語り継がれるだけとなった。
最近では憲法に軍隊を明記する意見まで取り沙汰されている。

ここで私は、どちらが云々と言いたいのではない。
どちらも不幸なことに変わりない。
恐らく、このような自省と忘却の繰り返しによって不幸な歴史は繰り返されたのだろう。

ただこれだけは言っておきたい。
過去に日本は世界有数の軍事力を持ってしても国土は悉く焼き尽くされ、無辜の命が犠牲になった。

それでも軍隊は必要というのだろうか。
南洋の島に置き去りにされたま、未だに日本に還れないでいる人々の魂からの叫びにはどう応えれば良いのだろうか。

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