2023年7月19日水曜日

甲子園は諸悪の根源

その主旨はスポーツライター小林信也氏の主張と同じである。例えば↓あたり

https://real-sports.jp/page/articles/261775534126531741

ただ私が以下に補足したいのは、折角スポーツに才のある前途有望な少年たちが野球部という名のブラック部活に侵された結果、科学的で自由な発想が出来なくなるだけでなく、オーバーワークで二度とスポーツが出来なくなるような怪我をしてしまったり、甲子園以外の目標を見いだせず燃え尽き症候群になってしまうことである。

たとえば…

ある少年はスポーツ万能で小学生の頃はいろんな競技で全国大会で名を馳せていた。ただ彼の住んでいた地域は保守的な土壌が色濃く残る場所で、高校進学時には周囲の後押しもあり野球に専念することに。当然ながら彼は一年生からエースで4番となり地元のメディアからも大谷二世とチヤホヤされた。しかし実は彼には野球は不釣り合いな種目でもあった。三年生になる頃には肘や肩の痛みは限界にまで達していたが、怪我を自白することは周囲の期待を裏切ることにしか思えなかった。そして怪我を隠して最後の地区予選に出場したものの、一回戦でノーシードの相手から負けた。試合後に彼が怪我をしていることは報道されたが、心から彼を労わる人は両親以外誰もいなかった。と言うか両親でさえ「甲子園のためには息子の多少の犠牲は必要だと思っていた」と後から告白された。ボールさえ投げられなくなった彼はその後、野球中継を見るのも嫌になり、野球どころかスポーツ全般とは全く無縁なぐうたらな余生を送ることとなった。

恐らくここまで極端ではなくても、似たような苦い経験をした高校球児は少なからずいるのではなかろうか。桜の花のように短くも華やかに燃え尽きるのが潔いと考える風潮が日本にはある。他者のために自分が犠牲になるのも美談とされる。高校野球はそういう先の戦争時のような精神が色濃く残る特異なモノである。観ている方はそれで良い。いわゆる感動をありがとうである。しかし散る側から考えれば、それも前途洋々のスポーツ万能な人間が18歳で燃え尽きてしまうのは余りにも勿体ない。スポーツ科学の発展した今では40歳でも現役でいられる競技もある。つまりスポーツ万能であるが故に不得手な種目でもそれなりに活躍できてしまう不条理な話なんである。

もし彼が野球での挫折から立ち直り、あるいは最初からブラック化した高校野球には目もくれず、世界一を目指して自転車競技にシフトしたらどうだっただろう。実は彼の大腿筋と心拍機能は自転車競技には完全に適合していた(野球向けの上腕筋は発達していなかった)。彼は後に日本人初のツール・ド・フランスでのステージ優勝者になった。現役のピークを過ぎてからもチームリーダーのアシスト(←これって日本人には一番心打たれる適役だと思う)に献身し、世界中の人々から称賛されるライダーになったかもしれないのである。

話をまとめる。

ツール・ド・フランスは、オリンピック、サッカーワールドカップ、NFLスーパーボウルと比肩する世界有数のスポーツイベントである。こう言っては何だが甲子園とは比較するまでもない。しかし日本人は何故かツールには全く見向きもせず、甲子園みたいな田舎の運動会にはかなり盛り上がる(その主因は朝日新聞の煽りが大いに関係しているのだろう…)。もちろん他人が何を楽しもうが勝手である。それに関して私が口を挟む権利も全くない。しかしそんな日々の暮らしに何の変化も望まず、日本独自のエンタメだけで十分満足しているお爺ちゃんたちを喜ばせるために、今の高校球児たちは丸坊主になり、直立不動でマウンドに立ち、キビキビした動きで好感度アップを狙っている、と言うか無意識にそういう役割を演じさせられている。それも無償で…。そこに大きな問題があると私は考える。つまり本来は自由で柔軟な発想をもつ若い人々の足を引っ張り、思考停止にさせているのが甲子園である。

それが、私が甲子園は諸悪の根源とする理由である。

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