2014年4月18日金曜日

「さくらんぼ被りモノ」考

ちょっと前に山形県知事のさくらんぼの被りモノが話題になった。
県職員への訓示の席で「皆も恥ずかしがらずに殻を破って県内外にアピールして欲しい」という主旨だったと記憶している。
私はこの言動や意義を支持する。否、寧ろ称賛したい位だ。

しかし同県の副知事が仙台市で催された「国連防災世界会議の実行委員会」の初会合の席で、同じ被りモノをして挨拶したことについては甚だ疑問に思う。

知事が被ったのは、あくまでも自分達の内輪内での集まりだった。
しかし副知事の場合は他県の要人の集まるオフィシャルな会合の席なのである。

これを高校野球の話で例えると…

校内の壮行会で応援団長がふんどし姿で応援したり、あるいは試合中に補欠部員がアルプス席でアフロヘアーで応援してもそれは全然構わない。
しかし開会式の入場行進ではそんな行為は絶対に許されない。式そのものを冒涜することになるし、他の全ての参加者に対して失礼極まりない。

これを肯定的にピックアップしている某地元紙の記事でも「会場はどよめき…」とあったことから、少なくてもその場の空気を膠着させたのは間違いない。(因みに他紙では概ね冷淡である…)
にも関わらず副知事は「やるならこの機会しかないと考えた。(アピールの)手応えはあったと思う」と言うのだから、もはや感覚が麻痺しているとしか言いようがない。

一般人がfacebookのネタ作りや自身のブログのページビューを増やすためにウケを狙うのはもはや無意識化している。(少なくても私は"意識して"そうしている)
しかし最近では何となく、国や県、要人や政治家までもが、そんな風にウケを狙って言動する風潮があるように思う。
私は大人の嗜みとして、その辺の弁えがなくなっていることを物凄く憂慮している。

面白ければ何でもありなのか。そこまでして大衆に迎合する必要はあるのか。
副知事が公式の席で被り物をして挨拶するのと、コンビニのバイト君が店の冷蔵ケースの中に寝た姿をニコ動に投稿する行為に大きな差異があるのか。

私たちはもう一度冷静に考え直す必要があるように思う。


追伸
本当のユーモアとはそれを介する人間がいるからこそ成り立つ。
パイを投げ合って楽しむだけでは本当のユーモアとは言えない。
何故ならそこには無駄に捨てられるパイを勿体ないと感じる発想がない。
人の上に立つ立場ならば猶更その辺は介すべきだと私は考える。

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