2014年4月17日木曜日

(投稿)「限定」は解除されるために存在する


限定というのはいずれ解除される可能性がある、否そういう運命にあると言っても良い。もし人間が抑えの効く種族ならば肥満などという現象は起きない。肥満で済むならまだましだ。薬物やアルコールに至っては自分自身を破滅に導くことさえある。

故に私は集団的自衛権の限定容認には断固反対する。「我が国の脅威とみなされる」事象については、北朝鮮のミサイル発射演習は無論、中国のPM2.5さえその火種と解釈することも可能になる。「必要最小限の行使」など、いざ武力衝突に発展したら何の意味もなさない。「他国・領海外では行使せず」も同様、囲碁や陣取り合戦を考えれば明らかだが、そんな線引きはあってないようなものだ。

私は専守防衛という概念は憲法9条を遵守できた最後の砦だと考える。この砦を超えれば自ずと戦闘に巻き込まれる。
逆から言えば、砦を出るなら相当の覚悟が必要である。多くの国民にそのかくごがあるとは私には到底思えない。
いずれにしろ国民的な議論が必要だと私は考える。



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