2013年12月25日水曜日

ホイド暮らし~冬の或る一日

冬は極力何もしないことにしている。
熊の冬眠みたいなのが理想なり。

なので用を足したり、猫に餌をせかされたり、やんごとなき雑用がなければずっと布団の中で本を読んだり空想に耽っている。そしてそれにも飽きたら薪ストーブに火を入れ、それで沸かしたお湯でコーヒーを飲み、また本を読んだりボーっとしている。

昼になったら誰もいなくなった実家に忍び込み、昨夜の晩御飯の残り授かる。月に3万円以下で生活できるのはこのお陰でもあるが、ソロー(「森の生活」を著したこのジャンルでは有名な思想家)だってお昼には実家の母親のもとに通っていたらしい…

その後は天気が良ければ10~20kmジョグし、天気が悪かったり走りたくない気分の時は午前と同じく部屋でムニャムニャ...

夕方は週に二~三回、近所の公営温泉に行き、最低限の公衆衛生を保持。そしてそこでのお爺ちゃんたちの銭湯談義や、休憩所にある新聞が唯一の社会との繋がりと言ってよい(住処にはテレビがなく、最近はラジオも全く聴かなくなった)。

そして暗くなったら晩酌をして、あとは寝るだけ。

雪が解けるまでは大体こんな日々の繰り返しである。
お金はお酒以外は殆ど掛からないので働く必要もないしその気力も湧かない。
将来はつまみを自給野菜を中心にし、このライフスタイルに磨きを掛けようとも考えている。

えにぃうぇい…

こんな暮らしに、「国民の義務を果たしていない」とか、「老後は大丈夫なの?」とか、「自分には絶対無理」とか、色んな異見があると思うが、以下に私見を述べる。

まず国民の義務について。
勤労の義務については、夏に自分が必要とする分だけ働いている。
年収は50万円くらいで、それで貯金もできているので、それ以上働く必要性を感じない。
納税の義務については、この年収なので住民税は非課税で年金の支払いも猶予されている。
国民健康保険は年に2万円くらい支払っている。
子供はいないので子女に教育を受けさせる義務もない。

老後については、特に心配はしていない。
まず私の生涯の目標は「ピンピンコロリ」である。日々の粗食&小食と運動を重心がけ、脳もなるべく衰えないよう注視しているのはそのためである。
また清貧に努め月3万円以内で暮らしているのも、どんな逆境でもサバイブし続けるためである。
そして一応、もし突然明日から働けない身体になったとしてもその暮らしを20年続けられる貯蓄はある。
更にそれでももし日本が福祉国家を放棄し、私のような国に貢献しない人間は切り捨てる政策をしたとしても、私にはその覚悟はできている。
そもそも国に頼るつもりは毛頭ない。

「自分には絶対無理…」については、私も昔はそうだった。
物欲に弱くいつも「〇〇が欲しい」とか「〇〇が足りない」とばかり嘆き、その不甲斐なさに常にストレスを感じ、そのくせ何も出来ずにウジウジしていた。
しかし、鉄人レース(水泳3.8km、自転車180km、マラソン42.192km)を完走してからは人生観が一変した。
一日中歩き続けられる健脚や何kmだって泳げる体力、そしていつ死を宣告されてもその覚悟さえ常に出来ていれば、金や物欲、将来の蓄えや老後の健康など、世の中のありとあらゆるモノは(無用とまではいえないが)どうだって良くなった。

お金なんて殆ど必要ない。
ストレスレスでシンプルな暮らしこそ人生の宝物だと思えるようになった。

以上、そんな発想とライフスタイルを一人でも多くの人に理解して欲しくて、今この日記を書いている。
まずほとんどの方には理解して貰えないだろうが…


2 件のコメント:

  1. 一日中歩き続けられる健脚や何kmだって泳げる体力、そしていつ死を宣告されてもその覚悟さえ常に出来ていれば、金や物欲、将来の蓄えや老後の健康など、世の中のありとあらゆるモノは(無用とまではいえないが)どうだって良くなる。

    コピペしました・・・

    腑に落ちる
    まさにこの言葉。
    実鶴くん、使わせてくれこのことばたちを。

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  2. 酔っぱらって書き殴ったので文章は滅茶苦茶ですが、正直個人的にも気に入っている日記です。
    読んで頂き感謝感謝/(^^ゞ

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