2013年12月12日木曜日

(投稿)本音で議論できる社会を

地方に行くと時折白い御殿を目にする。廃校になった小学校である。しかしそれらは決して民意に反して建てられた訳ではない。当時から多くの人に近い将来廃校になると予想されていたにも関わらずである。でも誰もそれを大きい声では言わなかった。否、言えなかった。恐らく多くの住民はここに子供たちの歓声がまた響き渡ると夢見ていた。そんな妄想に釘を刺すような本音は当然誰も言える訳がない。

恐らく先の戦争もこのような感じで泥沼化していったのだろう。

民主主義は面倒なものである。前述の小学校建設に際しては村を二分してでも討論する必要があったと私は思う。

また似たような事例は全国どこにでもあったし当然今も存在する。しかし私達はずっと議論することを避けてきた。

そして先の参議院選では決められない政治を忌み嫌った。それらの結果が今回の強行採決であると言って良い。

今なら未だ間に合う。

いつどんなことにでも本音で議論できる社会だけは守り通さなければならない。そして権力の暴走だけは絶対に許してはならない。廃校の小学校なら他の何かに有効利用も出来るが、いざ戦争が始まれば後戻りできないことは私達の歴史を見れば明らかなのだから。

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