2014年3月31日月曜日

Something good

体重が元通りになるまでランは控えるつもりだったが、今日は強風に付き自転車ではハンドルを取られそうな感じがして走ってみた。

ところがいつものジョギングコースで水浸しになっている箇所が所々あった。
これまでは融雪によるものと思って別のコースに逃げていたのだが、今回よ~く見てみると雪がない所からも溢れ出ていることに気付く。
「なぜだろう?」とその源を辿っていくと、堰に落ち葉や泥が溜ってしまい雪解け水がちゃんと流れていかないせいだと判明。(雪国育ちながら今まで全然気付かなかった…)
で、その詰りの原因となっている落ち葉や泥を取り除いてみると、勢いよく水が流れだして下流に溜った他の汚泥までも綺麗に洗い流してくれるではないか!?
耳ク〇が一気にスパッと剥がれ落ちるような、そんな気持ち良さである。

その後はジョギングそっちのけで水の溢れ出している箇所を全てほじくり返すこととなった。
結局、約一時間掛けてスエズ運河は開通。

しかし、大分春らしくなったとは言え、さすがに小一時間も雪解け水の中に手を入れ続けて汚泥と格闘したので、手はかじかみシューズやウェアーは泥だらけ。
でも何となく、交通量の激しい交差点の横断報道をおばあちゃんの手を取って渡らせてあげた後のようなスッキリした気分でもある。(もちろんそんな真似など一度もしたことはないが…)

因みにこのジョギングコースは普段は殆ど誰も通り掛かることなどない農道であるが、、ちょうど今回だけは新しいリンゴ畑を開拓している最中らしく土砂を運ぶダンプの運ちゃんが何度も通り過ぎて行った。
恐らく彼等は「あのオヤジ、頼んでもないのに何やってんだ?」と思ったかもしれない。

オーケー、それでも私は全然気にしない。
※と言うか「否、ダンプの運ちゃんも私と同じように子供の頃は泥遊びが大好きだったに違いない(だからダンプの運転手になったのダと…)」と考える。

誰の仕事でもない雪掻き的な仕事を自ら率先してやる。
その見返りに、いつの日か傘地蔵さまが私の小屋の玄関までやって来て、米俵や金貨を置いて行って下さるだろうと私は本気で信じているのであ~る。

♪Nothing comes from nothing. Nothing ever coulud.
So somewhere in my youth or childhood,I must have done something good.



2014年3月30日日曜日

マラソン大会のキャンセル考

私が検索した限り、ほとんどの大会では規約に「申し込み後の種別変更、返金等は一切受け付けません」と記載されている。
それに疑問を呈する人もわずかにいたが、そんな意見はことごとく「ゴネる方が間違っている」と叩かれている。
なるほど、今の日本では世間の常識にちょっとでも???と異を唱えれば先ず間違いなく非国民扱いを受けることは判った。
その上で敢えて愚痴を言う。

もちろんマラソン大会を催すに当たっては、大会当日よりその準備に費用が掛かるのは承知している。
それにマラソン大会は商売ではない、というかほとんどの大会は主催者側の赤字だろう。
事務局の運営もボランティアや役所の職員が片手間でやっているので、正直なところ返金に応じるだけの事務局の余裕がないとも想像できる。
故に「自己都合のキャンセルは勘弁して欲しい」という切実な訴えならば私はとても納得できる。
しかし前述したように、「こんな素敵な大会を催して貰っている方々に対して、よくもそんな不謹慎なことが言えるでございますワ!?」とか、「お前にはスポーツマンシップないのか!?」みたいな感じで第三者から非難されるのだけはまっぴら御免である。
そもそも私はアスリートでも道徳的でもない、ただのケチで腹黒い厭世人である。

えにぃうぇい…

ここまで言わせて貰ったのだから、ついでに言わせて貰う。

人気のマラソン大会ともなると大会の半年前に参加料を払わなければならない場合さえある。
半年も経てば会社の所属が変わったり身内に不幸があったりと、状況が変わることも頗る多い。
そういう方々のためにも、せめて大会一か月前までならキャンセル出来るシステムにできないモノだろうか!?
減った分は一次抽選で漏れた人の中から順次繰り上げ確保すれば良い。
その事務処理にどれだけの労力が掛かるかは判らないが、少なくてもコチラの方が止むを得ずキャンセルした人、そして一次抽選で落選した人双方がハッピーになれるのだけは間違いない。
少なくても一考の価値はあると私は思うの…

※後日談
ランネットが、↑のような仲介業務を開始したらしい。
良い流れだと思う。

2014年3月29日土曜日

クッキージャーの中の秘密

もしも心底自分の宝物を保護したいのなら、クッキージャーそのものを隠す必要がある。
しかし今の世の中ではそれは不可能に近い。

だから先ずアベちゃんが企てたのは、ジャーの中身を絶対に見られないようにすること。
そうすれば自ずとそれに対する悪戯坊主(←つまりマスコミや私達)の関心は薄れ、更には絶望感さえ湧くだろうと考えたのかもしれない…

故に国家がどんなに秘密を施錠し且つ検閲を厳しくしたとしても、ジャーの中身を探る探求心や猜疑心だけは忘れてはいけない。
そして、そんなジャーの中身は大抵ビー玉やメンコなどの類であったりするのだが、そんなモノの犠牲となって私達平民が略奪、強姦、殺戮などをしたりされたりした歴史があることも同様に心底に留めておく必要がる。

みんなの頭取(とうしゅ)

億円単位のお金を平気で他人にタカることが出来るようになれば、恐らく怖いモノはなくなるのだろう。
そうでなければ、子供の言い訳にしか聞こえないあの類のコメントを平然と公言したりは決して出来ない筈。

まぁそれ位の器量がなければ、政党の党首などは務まらないのだろうけれども…

3%の罠

例えば1000円の買い物をすれば30円の増税となる。
しかし来月以降も同じ店舗で特売日と通常日で30円の差額は出るだろうし、一般店舗とネット通販で比較すればそれ以上の開きが出るのが普通である。

石油ショックでトイレットペーパーを買い占める心理と殆ど変わりはない。

ケ〇を拭くのに別に金を掛ける必要はない。

2014年3月28日金曜日

桜は優しく愛でるもの

花見は「しなければならない」ものではない。
もちろん所謂風物詩としての花見を否定する訳ではないし、年に一回位は乱痴気騒ぎで戯れるのも悪くはないとは思う。

しかし…

俗にいう花見が、お上による庶民の懐柔策として奨励された由縁があること

そして…

巷にある桜の木がどういう由来でどういう人々に植えられたかだけは肝に銘じた方が良いと私は思う。

別に何から何まで易々と安倍ちゃん達の思い通りにさせる謂れはない。

2014年3月25日火曜日

世間の常識

片田舎の図書館の自習机を借りてパソコンでモノを書いたりしている。
その机の前面にはコンセントがあり「使用禁止」とは書いていないので電源も借りている。
平日は女性の図書館スタッフが居て一度も注意されることはなかったし、嫌な顔もされていない(と思っていた)。
もちろん「飲食禁止」や「静かに」などの常識的なルールは遵守しているし「パソコン禁止」という張り紙もない。

にも関わらず、日曜日の宿直と思しき御老輩の方から「普通はそういうモノは自宅でするもんだべ」とか「町民の税金で賄っているモノを勝手に使って、悪いと思わねのか?」的な注意を受ける。

私の言い分はここでは言わない。(その時はカッとなって本気で迎撃してしまったが、今となってはそんな下らないことに反撃した自分を恥ずかしく思う)
※ただ私も町民だし納めるべきモノは納めている事だけは追記する。

恐らく常識というものは、その人々の立場や考え方が変われば全く変わるモノなのだろう。
その御老輩も町役場の職員として全うなことを言っていると信じて疑わないのだと思う。
図書館というものは町営のレンタル本屋としてしか捉えていないのかもしれない。

話は飛ぶが…

ウクライナの問題も100%ロシアが悪いとは私は思わないのだが、西側の論調は極めて辛辣だ。
プーチン国王(首相だが大統領だか忘れたので敢えてこう呼ぶ)の言い分など全く問答無用の風潮である。
これでは対話など出来る状況ではない。
日中や日韓の問題も然りである。

時には、相手の立場になってモノを考えてみる。
そういう姿勢があれば、今のようなギスギスした社会はもう少し揺らぐと私は思うのだが…

2014年3月23日日曜日

仮設住宅考

チョッとだけ建築学をかじった人間の戯言…

仮設住宅の強制収容所と左程変わりはないプランニングには頗る問題があると私は思う。
元々長屋住いの経験がない方々にとっては、石膏ボードを何枚重ねたとしてもプライバシーの確保など出来るものではない。

だとすれば、ドライな意見だが…

風呂とトイレは共同、場合によっては炊事場も共同にして、江戸時代の長屋のような横の繋がりを大切にした方が生活そのものは楽しく充実すると私は思う。孤独死なんてものも殆どなくなるだろう。

多分私達はプライバシーという概念を履き違えている。

2014年3月20日木曜日

買い溜め

食い溜め、眠り溜めが出来ないのと同じように、出来る訳がない。

唯一出来るとすれば…

4月以降は、それを買わないことである。

挑戦してみるのも面白い。

2014年3月18日火曜日

カバーヨブランコの憂鬱

知らぬ間に佐渡Aのエントリーが終了していた。
※言い訳をすれば、私は4月からエントリー開始するものと思っていたし、これまでもそうだった気がした(周囲の人に聞くと「それは違う」と否定されたが…)

一縷の望みは定員割れによる二次募集だったのだが、地元の消息筋からの情報によると、定員が1,000人に増えたにも関わらず、しっかりと募集人員に達したらしい。

そして急に何となく、(佐渡だけでなく)巷のレースにエントリーすることへの倦怠感を感じた。

走ることは人にモノを買わせるのが目的じゃない
走ることは自由でなきゃいけないのさ

~Micah True(カバーヨ・ブランコ)

2014年3月17日月曜日

感動を探すのが報道機関の仕事ではない

2011年の3月下旬、南三陸町にボランティアに行った時のこと…
報道関係者は感動的なネタだけを探し回っていた(ように私には見えた)。
故に、かのSTAP博士も、(その功績よりも)学生時代や子供の頃の逸話を根掘り葉掘りほじくられたと推測する。
そして、そんな感じで勝手に騒ぎ立てたのに、自分の立場が悪くなると「お前も佐村河内か!?」みたいな感じで掌を返す。

胡散臭いモノを嗅ぎ付けられないようではジャーナリストとは言えない。
視聴率や発行部数アップしか考えないからそうなったんだと思う。
もちろん、そういう記事だけを熱望する私達の責任も計り知れない。

2014年の佐渡トライアスロンは…

もう既に受付終了したらしい…orz

あとは、私のように「募集は4月からでしょ!?」という人や、「今年は(も)アイアンマン!」という人が予想以上に多く、その結果定員に達せず二次募集となることを願うのみだが…(ブームは未だ健在で今年も盛況だった模様)
まぁいずれにしても、佐渡ロングロイドも受付終了しているので、スコットカップとグァム旅行券は儚い夢と相成った。

という訳で…

珠洲なども考慮してみたが、もうロング意外は出たいとは思わないし、かと言って7万円(アイアンマン北海道)出してまで出たいとも思わない。皆生や五島はチト遠い。
などと考えていると、3万8千円(佐渡A)も何となく大同小異のようにも思えてきて、もうトライアスロンはどうでも良くなってきた何となく憂鬱な今日この頃である。

えにぃうぇい…

この異様なまでの早起き鳥エントリーシステムは何とかならないものだろうか!?

それとも…

往年の先輩諸氏が言う通り、6月頃になってエントリーしていない事にようやく気付いて事務局に電話すると「近日中にエントリー料を振り込んでくれれば大丈夫ですょ!」みたいな緩~い時代が来るまでは、私のようなズボラな人間は出場を控えるべきなのだろうか…(^^ゞ

やれやれ…

2014年3月15日土曜日

ロードバイクを解剖する

はじめてのクランケとして槍玉にあがったのはコチラ→
(※流石にサーベロやピナレロを手術する勇気はまだない…)
シマノ600ベースのアートスポーツオリジナル。1998年頃におよそ10万円で購入。
フレームはアルミ軸のカーボン巻き巻きフレーム。
これまでノーメンテナンスでも故障もなく動いてくれたし、これからも雨の日通勤などで活躍して欲しいので是非再生手術には成功したい。

で、先ずは解剖実験…

当初、バラすのは簡単だろう(問題なのは組み立て直す方)と思っていたが、BBの右ワンだけではどうしても外れない…orz
結局鉄ノコで切れ目を入れ、そこからポンチで叩き破壊する。(BBは初めから交換予定なので惜しくはない)

受け側にも致命的な傷を作ることはなかった(と思いたいです)


一応分解出来る(そう)な所まで分解完了。

分解して初めてブレーキキャリパーやディレイラーなどの動きが判り、とても良い勉強になった。

また改めて、ロードバイクには必要最小限のモノしかないことが判り素直に感動する。

シンプル イズ ベストなり。

また今回はハブやノーマルステムのベアリング部分も分解しグリスアップしてみた。

最初は玉押し作業も熟練技が必要かと思っていたが、何度か締めたり緩めたりしている内に「何となく、この辺で良いのかなぁ…」という感覚がわかった。(まぁ今後、整備不良が原因で大事故になったりしなければの話だが…)


ちなみに…

ステムのリテーナーベアリングの向きが判らなくなったので、ネットで調べると写真→のようにとの説明あり。

これでは素人が見ても???である。
念のためグーグル閣下で調べてみると、同じような矛盾を感じた方がいらっしゃり→とは逆にしたとのことなので私も自分の感覚に従って組み直した。

これでもしもダウンヒルの途中でステムが折れて違う世界まで飛び立ったとしても自己責任なのであ~る。

南無大師遍照金剛

2014年3月13日木曜日

ロードバイクのメンテナンス台の自作



日頃お世話になっているタケスポさんの作業台を参考に、敢えて自転車が前傾するようにしたのが特徴。

この方がフロント&リアのディレイラーとSTIレバーのレベル差が近くなり、ディレイラーの調整作業がし易くなるらしい。
(なるほどザWORLD!)

土台はその辺に落ちている端材なので、掛かった費用はフロントフォーク固定のためのシャフト受けとして、ずっと以前にホームセンターで捨て売りしていた1ヶ¥10の手すり受け2ヶのみ。
ちなみにシャフトは姪っ子の使い古した幼児自転車のシャフト。クイックリリース(?)は同じ幼児車のサドル固定レバー。

自分で言うのもなんだが、ブリコラージュなホイド的手法なり。
遠征先まで持ち運びなどは出来ないが、その分どっしりしているし、何よりコストが¥20の自慢作。

これで、これまでは殆ど放置プレイで油と泥まみれだった愛車達をお立ち台に上げキレイキレイにしてあげられそうな予感がする。(希望的予測)

2014年シーズンイン!

今の寒波が最期だと感じ、活動再開することに。

因みに今の身体状態は…
☆追い風参考記録で体重は10kg増(身長168cmで体重68kg)
☆キロ6分ですら走れない(走ろうとすると心拍数が150を超える)
☆スイムは昨年11月から一度も泳いでない。(4月から再開予定)

「さ~て、来週のサザエさんは?」という感じで、9月の佐渡Aまでどこまで復活出来るか実験開始である。

追伸
というか、その前に4月の佐渡トキマラソンまでにフルを完走出来るか否かすら???なのだが…

船長は最後に船を降りる

しかし今の宰相は以前、乗員乗客より先に逃げた経歴がある。
ここであらかじめ断っておくが、私は先に逃げだことを責めたいのではない(人間なら誰でも、そういうことはある)。
そんな過去など全くなかったかのように、「責任者は私ダ!」などと振る舞う、今の厚顔振りがどうしても許せないのである。

えにぃうぇい…

まぁそんな船長を咎めることなく、「もう一度船長になってくれ」と頼んだ私たちの方にも、その「責任」はあるとは思う…


2014年3月12日水曜日

(投稿)3.11を単なる記念日にはしない…

 今年の追悼式典は人々が集い易くする配慮で先週末にする自治体もあった。3年という月日は多分そういうものなのだろう。特に過去の悲しみを乗り越え、前を向いて歩いて行かねばならない被災者にとっては、そういう措置は必要なのかもしれない。
 
ただし、その日に大きな被害に逢っていない私達各々にとっては、3月11日は忘れてはならない重要な日だと思う。
「今、私達に出来ること」は携帯電話をスマホに代えることなのだろうか。憲法改正あるいは解釈変更して戦争を出来るようにすることなのだろうか。景気回復を最優先してそのためには原発も止む無しとすることなのだろうか。

多分どれも違うと私は思う。それでは余りにも過去の震災や戦争で犠牲になった人々が浮かばれない。

3.11は、私達一人ひとりがその答えを真剣に考える、その契機として存在すべきではないだろうか。単なる追悼記念日として存在するだけなら、余り意味はないと私は思う。

(2014/03/11朝日投稿→没)

冷静に現実を見据えれば…

我ながら結構イケると思って朝日新聞に投稿したのだが、結局没となったので以下に毒抜きしていない素ネタを披瀝する。
※赤字が毒抜きしていない部分

最近「現実を見据えて云々」の話をよく聴く。しかしもし日本が攻撃されたとして、その相手国の本土にまで反撃すれば世界の世論からは二国間の戦争とみなされ積極的に支援してくれる国はそう多くないと私は思う。
※満員電車内のイザコザに加担する人はまずいない。アメリカだけは同盟国として加担してくれるだろうが、その中枢には「今こそ特需!」と考える人がいるかもしれないし、場合によっては「戦争が長引けば更に儲けられるかも…」と画策する人までいるかもしれない。日本が朝鮮戦争でそう考えたように
 
その一方で、応戦はあくまでも専守防衛に留める代わりに、国連からSNSまであらゆる手段で世界中に助けを求める策を取ったらどうだろう。「日本は何と潔いのか」とか「非戦を誓う国へ何たる暴挙」などと世論は完全に日本の味方となってくれると私は思う。
 ※facebookやtwitterの圧力によって、自国の軍を派遣せざるを得ない状況だって起こり得ると私は思う。

つまり冷静に現実を見据えれば、軍事費を増強し国権を誇示するよりも、諸外国との対話を重視し平和外交を展開した方が賢明なのは明らかだ。故に在日米軍には撤収して貰い、自衛隊は外敵侵入や天災など有事の際の機関として再編成。これで現在は解釈が曖昧な憲法9条も名実共に合致するので、そこで改めて世界に平和と不戦の宣誓をする。これでも攻め入るような国は、日本が武力で迎撃するまでもなく即刻世界から抹殺されるだろう。

上記が理想であり現実はそう甘くないのは私にも判る。しかし今の私達は現実を見据えているようで実際は強い潮流に流されているだけのような気もする。
潮の流れに身を任せるのは頗る気持ちが良い。例えその行き着く先が深い滝壺であったとしても…。
だからどんなに「非国民」とか「臆病者」と罵らようとも、もし貴方がその方向が危険だと察知したなら即刻向きを変えた方が宜しい。真の勇気とはそういうモノだと私は考える。

★take2

もし日本が攻撃されたとして、その相手国にまでミサイル攻撃などすれば、世界の世論からは普通の戦争とみなされ積極的に支援する国はそう多くないと私は思う(満員電車内のイザコザに加担する人はまずいない)。
 その一方で、迎撃は最低限に留める代わりに世界中に助けを求める策を取ったらどうだろう。「日本は何と潔いのか」とか「非戦を誓う国へ何たる暴挙」などと、世論は完全に日本の味方となってくれるだろう。 
 つまり冷静に現実を見据えれば、軍備を増強し国の主権を主張するより、諸外国との対話を重視し平和国家をアピールした方が得策だと私は思う。なので在日米軍には撤収して貰い、自衛隊は外敵侵入やテロ、災害など非常事態の際の機関として再編成。これで憲法9条が名実共に合致するので、そこで改めて世界に平和と不戦の宣誓をするのだ。これでも攻め入るような国は即刻世界から抹殺されるだろう。
 右記が単なる理想であり現実はそう甘くないのは私にも判る。しかし現実を見据えているようで実際は現状に合わせようとしている姿勢は正すべきであり、こんなきな臭い今だからこそ、そんな理想を追及するべきだと私は思っている。

★take3
最近「現実を見据えて云々」の話をよく聴く。しかしもし日本が攻撃されたとして、その相手国の本土にまで反撃すれば世界の世論からは二国間の戦争とみなされ積極的に支援してくれる国はそう多くないと私は思う(満員電車内のイザコザに加担する人はまずいない)。その一方で、応戦はあくまでも専守防衛に留める代わりに、国連からSNSまであらゆる手段で世界中に助けを求める策を取ったらどうだろう。「日本は何と潔いのか」とか「非戦を誓う国へ何たる暴挙」などと世論は完全に日本の味方となってくれる筈だ。つまり冷静に現実を見据えれば、軍備を増強し国の主権を誇示するよりも、諸外国との対話を重視し平和国家をアピールした方が得策だと私は思う。なので在日米軍には撤収して貰い、自衛隊は外敵侵入、テロ、天災など有事の際の機関として再編成。これで現在は解釈が曖昧な憲法9条も名実共に合致するので、そこで改めて世界に平和と不戦の宣誓をする。これでも攻め入るような国は即刻世界から抹殺されるだろう。右記が理想であり現実はそう甘くないのは私にも判る。しかし今の私達は現実を見据えているようで実際は強い潮流に流されているだけのようにも思える。こんな"きな臭い"今だからこそ真の理想を追及すべきではないだろうか。