正式には表題のように言うらしい。
施術日はケガから4日後の10月19日。
これで時折襲う痛みや就寝中の悪夢から開放されると期待できる反面、手術室に入ること自体初めてだったので一抹の不安もあった。
麻酔は半身だけだったので施術中の内容は全て見られた。
麻酔の骨髄注射は独特な痛みだったが、その後麻酔が切れるまでの数時間は久し振りの安寧なひとときだった。
※もうひとつ、尿道に管を通すのも(痛みというより)気持ちが悪かった。
手術には病院常駐の三人と、プレートやスクリューについて彼等に助言していた非常勤(?)の総勢4人のドクターに施術して頂いた。
※この頃から私のケガは...かもと思うようになった。
看護師から施術中に音楽も聴くことができると言われたのでクラシックをリクエストしたのだが、内容が「久石譲ベストセレクション」みたいなモノだったので興醒めした。
その代わりといってはなんだが、ドクター確認用のX線モニターを私も盗み見できる状態だったので全然退屈はしなかった。
プレートを留めるビスの位置や、遠位端へ打ち込むビスの長さなどを4人で侃々諤々し合う姿は私を非常に勇気づけてくれた(なにせ4人もの先生が私一人の右足一本のために議論してくれるのだから...)。
手術そのものは3時間(準備や片付け時間も含め4時間)位だったと記憶している。
ただ最終盤に、血止めのための太股のゴムバンド部が痛くて仕方なかったのと、何故か全身から汗が吹き出してきたのが気になった。
病室に戻ると、待合室で兄夫婦と母が待っていてくれた。
ケガ当日は母からバカだバカだと散々悪態をつかれたが、さすがに今日は心配してくれていたみたいで歯痒く切ない気持ちになった。
病室に戻って間もなく、呂律が回らない位まで身体が震え出しかなり焦ったが、震えそのものは30分位で静まった。
しかしその後、ずっと脚を引き摺られるような痛みと、猛烈な喉の乾き(麻酔が切れるまでは水分補給もタブーとのこと)で、その日の深夜まで悶えることとなった。
岩崎恭子氏の名言を借りれば
「今まで生きてきた中で一番苦しかったです」
(つづく...)
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