以前、江戸川の河川敷沿いに住んでいたことがある(ホームレスではなく、土手の西側のアパートにちゃんと金を払っていた)。
そして花火大会が催された翌朝早くには、散歩の振りをして落とし物目当てに土手沿いを彷徨した。
結局大きな成果はなかったが、見物客たちが残していったゴミの多さだけは今でも目に焼き付いている。
閑話休題
お祭り(オリンピック)が終わった。
※正確にはまだ後祭り(パラリンピック)があるが、本祭りとしては8日が幕と言って良いだろう。
お祭りの是非について私が言いたいことは大体言い尽くしているので、これ以上言うつもりはない。
ただ最後に、このお祭りのからくりと、その後片付けについて付言したい。
祭りは儲かる。
富くじ(宝くじ)程ではないが、それでも一般的な商いに比べれば桁違いに儲かる。
ただ盛大なお祭りが出来るのは、神社仏閣などの舞台(コロシアム)や歴史的な伝説や伝承の由来(五輪憲章)を持つ、権力者(国、東京都)や王侯貴族(IOC)だけだ。
このアドバンテージは何よりも計り知れない。
しかし如何せん、彼らには儲けるためのノウハウがない。
そこで彼らに手を貸すのが、地元ヤクザ(JOC、五輪招致委員会)や豪商(デンツー、パソナ、その他協賛スポンサー)、政治屋(モリ、アベ、イシハラ、イノセ、コイケ、etc…)達である。
彼らがタッグを組んだら怖いモノはない。
その手段もヤクザ真っ青なあざとさで、法律などお構いなく(五輪招致疑惑)、祭り成功のためにはあらゆる嘘を並べる(復興五輪、東京の夏は快適、etc…)。
その一方で、木戸銭を払って祭り見物に訪れる一般庶民はどうだろうか?
たとえ糞味噌な三文芝居(お祭りの最期に宮沢賢治の朗読を聴かせる主旨が意味不明…)でも、庶民一人一人の損害は木戸銭だけであり、激しい反乱は起きない。
中には「あれは良かった。お前も観た方が良い」と喧伝する輩(ある程度のサクラもいるだろう)まで登場し援護射撃となる。
つまり祭りそのものはショボくても(と言うか、最小限のコストで最大限の利益を目論んでいるのだから必然的にショボくなる)、見物客が多ければ多いほどこのビジネスは儲かる。
そんな訳で興行主や彼らに群がるハイエナ達は、恥ずかしさも顧みず鐘や太鼓を叩いて客寄せをするのであり、嘘八百を並べても平然としていられるのである。
えにぃうぇい…
最後にまた、話を江戸川花火大会と絡めてみる。
王侯貴族たちの散らかしていったゴミの量は半端でない。
何しろ、日々の宴会で呑み散らかした食べ残しだけではなく、五輪以外には使い道のない巨大な競技場と、その建設費用の請求書をいくつも遺していったのだ。
しかし、それを片付けるために駆り出された人々の殆どは、僅かばかりの賃金収入を得るために集まった労働者、或いは地元のボランティアである。
彼らはその同僚たちと「昨夜の花火は綺麗だったネ」と談笑しながら、王侯貴族たちが喰い散らかしていったゴミを、何の文句も言わず喜んで拾っている。
これが、全く裏のないおもてなしである。
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