2021年8月7日土曜日

式辞の責任は話者にあり

※青地字は加筆

菅義偉首相が先日の広島平和祈念式典のあいさつの一部を読み飛ばした原因について、政府関係者は「原稿を貼り合わせる際に使った糊が付着して頁がめくれない状態になっていた。完全に事務方のミス」との釈明をした。私はこの釈明に憤りを超えた失望感や虚無感を感じた。
先ずもしこの釈明が事実なら菅首相は事前に原稿をチェックせず本番に臨んだことになる。私も糊で切り貼りした書類を作ることがあり、確かに頁がくっ付くこともある。しかしそれは、出来た書類をめくってみれば直ぐに気付くし、簡単に剥がすこともできる。つまり菅首相はそれさえもしなかったということになる訳だ。もしもそうなら氏の国事に対する姿勢や見識を疑わざるを得ない。
もう一つは、たとえその原稿が部下の筆で書かれたものだとしても、自分の署名入りで読み上げる以上、その全責任は菅首相にあるはずである。と言うか、本来なら自身の言葉で書くべきところを、全て事務方に丸投げしている時点で十分過ぎる怠慢なのに、いざそれに不都合が生じると「部下のミス」と責任転嫁しているのだ。
ここまで出来るサイテー上司はブラック企業でもそういない。まさに半沢直樹の「部下の手柄は上司のモノ。上司の失敗は部下の責任」を地で行く姿勢である。
これらを現政府関係者、並びに菅首相は恥ずかしいことだとは感じないのだろうか。

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