2021年8月14日土曜日

障害者として生きる覚悟

私は眠りが浅いのでほぼ毎日夢を見るのだが、夢の中の自分は骨折とは全く無関係である。
骨折したての頃はその痛みも半端なかったので、何かに追われたり、脚を引っ張られるような悪夢が多かったが、そんな時でも普通に走って逃げていた。
痛みが治まった最近は何故か幼少の頃の夢を見ることが多く、そこには骨折どころか、青年期の嫌な思い出すらぶり返さない。
その類のものが約8割。
残りの2割は、骨折したという前提はあるものの、クララ(アルプスの少女ハイジの登場人物)のように周囲から応援され、普通に歩けるようになって喜んでいるパターン。
つまり今のような不甲斐ない状態で不貞腐れているパターンは全く見ていない(見てはいるものの、記憶が自動消去しているのかもしれないが…)。

これは恐らく、自分自身で障害者であることを拒絶しているからのではないだろうか。
今のままの自分を受け入れられないから、敢えて純粋無垢の幼少時代の夢しか見ないのではないかと思った次第である。

故に、今巷で騒がれている某の発言には結構シビアに引っ掛かった。
健常な頃の自分なら全く相手にしないか、「可哀想な奴」位でスルーできたのだが…。

えにぃうぇい

某のようなリバタリアンについては、また別の機会に考える。
今はとにかく自分自身が障害者である自覚を持つべき時だ。

それまで一日に何十キロも走れた人間が、突如として数メートルさえ走れなくなった。
その時に…
人間はどのような心境になるのか
これまでの何不自由ない人生と、どのように訣別するのか
残る余生を、どのように生きるのか
その辺のところを「障害者に生きる価値はない」と言う人々に、訴えかけていきたいと思っている。

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