一度目は三歳くらいの時
煉炭堀コタツの中に潜って飼い猫と戯れているうちに、そのまま一酸化中毒になった。
担ぎ込まれた医者からは「あと数分遅かったら…」と言われたらしい。
ちなみに3歳時の他の思い出は全く記憶にないが、この時のことだけはかすかな記憶がある。それは祖母が後に語ってくれた昔話を自分なりに解釈し直しただけかもしれないし、それだけ強烈なインパクトがあったからなのかもしれない。
二度目は35歳くらいの時
日光の杉並木道路でコクリコクリと居眠り運転をしてしまったのである。突然大きな障害物を踏みつけたような爆音で目が覚めた。すぐに路肩に車に止めて状況を確認したが車体に損傷はなく道路にも何も落ちていなかった。ちなみに、あの道を走ったことがある人なら分かると思うが、あそこでセンターラインはみ出したら対向車は何もできない。私は今でも、他界した父か助けてくれたのだろうと思っている。
そして三度目が今回の骨折事故である。
私が骨折した場所は、携帯電話が不通なだけでなく、一般登山道からも外れた山のなか。
一人だったら、まず間違いなくそこでカラスの餌となっていた。
私は死んでも死にきれない男。
たとえばビルから飛び降り自殺しようとしても生垣がクッションになって助かるとか、そういう運命なんだと思う。
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