ジョン・クラカワー著、佐宗鈴夫訳
��※或いは、ショーン・ペン監督の映画もあります)
恐らく、この本の主人公の気持ちは、少数の判る人には凄~く判るけど、大方の判らない人には全然判らないのではないだろうか。
実際、当時の彼に対する見方はネガティブなモノばかりだったとか…。
しかし…
「肉食にたいする嫌悪は経験によるものではなくて、もって生まれたものでる。粗末なものを食べて、質素に暮らすほうが、いろいろな点からして美しく思われた。それを実行に移したことはなかったが、実行できたらいいとは本気で思っていた。すぐれた才能とか詩的才能を最良の状態で維持しようと努めてきた人々は皆、とりわけ肉食や過食をつつしもうとしていたように思う…。
想像力に不快感を与えないような、質素で新鮮な食品を用意し、調理することは困難である。
しかし、肉体に食べ物を与えるときには、想像力にもあたえるべきだと思う。想像力も、肉体も、同じテーブルにつくべきである。それはいずれ実現するかもしれない。ほどほどに果物を食べていれば、食欲を恥じることもなく、もっとも価値ある仕事中断することもないのである。
しかし、料理に余計な香辛料を入れるのは、身体に毒だろう。
��H・D・ソロー「ウォールデン」
このくだりに印をつけ、その脇に書き記した↓の手記から見ても、著者が推察する通りこの時点でもう現代に戻ろうとしていたと僕も思う。
ソローが街に戻ったように…
じっくり考えた暮らし方。生活の基本にたいする意識的な注意と、身近な環境とそれに関連するもの、たとえば→仕事、職務、書物に対する絶え間ない注意。どれも、効果的な注意力の集中が求められる(状況には、なんの価値もない。価値があるのは、事態との折り合い方である。すべての真の意味は現象と個人との関係のなかにある。それが重要なのだ)。
食べものの偉大な聖性、生命の熱。
実証主義、なにものにも勝る生活美学の喜び。
絶対の真実と誠意。
リアリティー。
独立。
結末―安定―一貫性。
��クリス・マッカンドレスの手記
果たして、自殺志願者や厭世人がこのような手記を書けるだろうか…
そしてこの推察は、↓の真理を確信していることからも真実の可能性は高いと思われる。
私は長いこと生きてきた。そしていま、幸福のためには、なにが必要であるかがわかったような気がしている。必要なのは、人々のために役に立てるような田園での静穏な隠遁生活である。人々に親切を尽くすのは簡単だ。親切にされることに慣れていないからである。さらに、必要なのは、多少でも役に立ちそうな見込みのある仕事である。あとは、自然、書物、音楽、隣人への愛だ―そうしたものが、幸福というものの私の観念である。それから、なによりも必要なのは、たぶん、連れ合いと子供への愛だろう―人の心はほかに何を望むことができようか?
��トルストイ「家庭の幸福」
もしも、彼が本当にlower48に戻ろうとしていたのであれば
運命の悪戯というのは本当に残酷だと思う。
追伸
"運命の皮肉"とも言える事実は映画では判らないので、是非原作もお読み下さい。
��僕は映画を先に知りましたが、原作を先に読んだ方が良かったような気がしました)
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