人間は変われる、世界はシンプルである、誰もが幸福になれる。
人間は誰しも、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいる。
問題は「世界がどうあるか」ではなく、「自分がどうあるか」であり、そしてその”勇気”があるかである。
★第一夜「トラウマを否定せよ」
原因論(フロイト)→ある物事ができない理由(感情)を、後付けで作り出す行為。(例:「引き籠り」を家庭の不和に起因させる)この呪縛から逃れられない限り、私達は一歩も前進できない。
喜怒哀楽は畢竟出し入れ可能な”道具”にすぎない。
変わることの第一歩は知ること。
答えとは誰かに教えてもらうのではなく、自らの手で導き出していくべきもの。
大切なのは「何が与えられているか」ではなく、「与えられたものをどう使うか」である。
今の自分を不幸だと考える人は、自らの手で「不幸であること」選んでいるに過ぎない。自分が変われないでいるのは、自分で自分に「変わらない」という決心を下したから。「今のままの私」の方が多少不満ではあっても面倒は起きないし楽で安全だからという理由で変わらないという決心をした。
「もしも○○だったら…」と可能性の話ばかりしていう間は、変わることはできない。
★第二夜「すべての悩みは対人関係」
人間、孤独を感じるためにでも他者(の存在)が必要である。
劣等感は他者との比較、主観的な解釈の中から生まれる。(客観的な事実に基づくものでは決してない)
優越性の追及:劣等感を克服するための行為
劣等感そのものは人間の自然な感情である。しかしその劣等感を言い訳にしはじめると”劣等コンプレックス”状態となる。(例:学歴が低いから出世できない)→それを見かけの因果律と定義する。
優越コンプレックス:自分が優れているように振舞い、偽りの優越感に浸ること。(例:自分は○○(有名人)の知り合いだとか、自分の過去の手柄を殊更自慢すること)。つまり自慢は劣等感の裏返しである。※不幸自慢もそれらの派生形(不幸であることを特別だと位置づけ、それによって人よりも上に立とうとする行為)。
比較して良いのは理想の(過去のダメな)自分だけ。他者とは絶対比較してはいけない。
競争ばかりしていると、”他者の幸福”を”自分の負け”と思い込むようになる。
感情(特に怒り)を使わないで済む最もスマートな方法は、言葉(論理)の力をj信じること。
対人関係の中で「私は正しい」と確信した瞬間、それは権力争いに足を踏み入れたことになる。→自分の主張が正しいと思ったら、相手が何と反論してきても議論はそこで完結すべきである。
人生のタスク。仕事のタスク、交友のタスク、愛のタスク
行動面の目標
①自立すること→自己受容
②社会と調和して暮らせること→他者信頼、他者貢献
心理面の目標
①わたしには能力がある、という意識→自己受容
②人々はわたしの仲間である、という意識→他者信頼、他者貢献
人間はあらゆる他者を敵とみなすことがいつでも瞬時に(たとえ昨日までは親友だったとっしても)可能である。だから世界はいつなんどき危険な状態に陥るか判らない。
★第三夜「他者の課題を切り捨てる」
他者から承認を求めること(承認要求)を否定する。私達は他者の期待を満たすために生きているのではないし、他者もまた貴方の期待を満たすために生きているのでもない。※「神のために善行を積む」という人は、「神の存在がなくなれば全ての悪行は許される」という概念に至る、ニヒリズムと表裏一体の関係にある。
課題の分離:ある行為・選択が自分(or他者)の課題かどうか検討すること。その見分け方は「その結末を最終的に引き受けるのは誰か」を考えれば自ずと判る。
自分を変えることができるのは自分だけである。(馬を水辺に連れていくことは誰にでも出来るが、その馬に水を飲ませることは誰にも出来ない)
他者の課題には一切介入せず、その代わり自分の課題にも誰一人として介入させない
見返りに縛られてはいけない。
”介入”と”援助”は似て異なるもの
他者の評価を気に掛けず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというリスクを犯さない限り、自分の生き方を貫くことはできない。つまり真に自由にはなれない。
原因論に頼る限り問題は誰にも解決できない。しかし目的論に頼れば問題は解決できるかもしれない。なぜなら目的を変えて(消して)しまえばトラウマも消えてなくなってしまうからである。
自分が変わったところで変わるのは自分だけであり、誰に迷惑を掛ける訳ではない。
★第四夜世界の中心はどこにあるか
共同体感覚:他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること。そして幸福なる対人関係の在り方を考えるもっとも重要な指標。
自己への執着を他者への関心に切り替えていく
「他者からどう見られているか」ばかりを気にする生き方こそ、「わたし」にしか関心のない自己中心的なライフスタイルである。
対人関係の中で困難にぶつかったとき、まずは「より大きな共同体の声を聴く」ことを考えること。
褒めるという行為は、能力のある人が能力のない人に下す評価のようなものである。つまり相手を操作することである。
劣等感とは縦の(身分、優劣、貴賤)関係から生じる意識。
人間は褒められることで「自分には能力がない」という信念を形成しがちになる。
人は「自分には価値がある」、「私は他者に貢献できている」と思えたときにだけ勇気を持てる。
他者のことは「行為」のレベルではなく「存在」のレベルで観る必要がある。
生活のあらゆるところで横の関係は築かなければならない。どこか一つでも縦の関係があるとライフスタイルは変えられない。例え雇われ先の社長とでも意識の上では対等であり主張すべきは主張すべきである。
★第五夜「いま、ここ」を真剣に生きる
自己受容、他者信頼、他者貢献
自分の力で「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める。cf.校訂的あきらめ
他者に無条件の信頼を寄せ、仲間だと考えながら貢献すればそれは偽善ではなくなる。
幸福とは貢献感である。しかし承認要求による貢献感には自由がないので幸福には繋がらない。幸福は自由な立場になって初めて得られる。
普通であることの勇気:普通であることは無能であることと同義ではない。
人生とは連続する刹那である。年表のように系譜を筋道立てて説明できるものでは決してなく、つまり「今、ここ」という点の集合に過ぎない。計画的な人生などそもそも不可能なのである。(保険会社は認めないだろうけれども…)
人生に目的地は存在しない。人生を物語に見立てるのは面白い作業かもしれない。しかしそれによって人間は自由を奪われる。こうあるべきだとか、その筋書に沿った生き方しか選択できなくなる。※アドラーの唱えるライフスタイルは「今、この瞬間」しか前提にしていない。
人生を刹那として捉えた時、それは常に完結する。
一般的な人生の意味はない。人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ
世界とは、他の誰かが変えてくれものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
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