私の通院する病院は、杖を無償で貸してくれるので、ついつい甘えて借りっ放しだったが、月も代わったことだし潔く返却することにした。
今でも時々覚束なくなる時もあるが、まぁその時はお遍路から持ち帰った金剛杖で何とかなるだろうとも考えている。
そこで、前回の杖ネタで書ききれなかったことを述べ、杖暮らしに別れを告げたい。
杖の効用を逆手に取って有効利用している輩がいる。
不良学生やチンピラである。
彼等は奇抜な格好をすることによって、すれ違う人々を寄せ付けない。
モーセの海渡りのように、目の前の途がパッと開けるは正直気持ちが良い。
陰ではイタいと思われながらもあのような格好をするのは、その感覚が忘れられないからなのかなぁと、ふと思った次第なり。
そしてもう一つ…
そんなに困ってなさそうな身障者は敢えて特別視せず、普通に振るまおうとする人々もそれなりに存在する(かくいう私が、健常だった頃はそうだった)。
しかしそういう人々でも「何かあったら助けてあげよう」という気配が垣間見える。
電車で背筋のピンと伸びた御老体に席を譲ってあげるべきか(逆に失礼にあたるのか)、躊躇するような感じで、手にしている本も上の空といった感じの情景である。
これなどは、世知辛い世の中でもまだ捨てたものではないと思える、歯痒くも微笑ましい光景である。
最後にもう一つ…
非常に極稀に、他人のことなど全く気にもとめない人が存在する。
スーパーのレジ前や銀行ATMで絶叫するのは、恐らくこの類の人々なのだろう。
えにぃうえぃ
不自由で面白くないことばかりの杖生活だった(敢えて過去形)が、こんな経験ができたのも杖生活のお陰だと少しづつ思えるようになった。
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